レトロゲームを飾って眺めているだけの男のブログ

幽霊論文に今、思うこと


この記事は、前のブログに投稿したものである。確か2019年の投稿だった。「ろんぶ~ん」という番組にて、東日本大震災により甚大な被害を受けた宮城県石巻市における心霊現象について研究した論文が取り上げられた。このテーマに私はとても興味を惹かれたのであった。

 


論文著者は大学教授で、19歳の頃に阪神大震災を経験している。そして東日本大震災も経験した。2度に渡り大震災を経験した著者は、被災者一人一人から話を細かく聞き取り記録してゆく「震災の記録プロジェクト」を立ち上げる。

一般的に災害研究は防災や復興といったテーマが多く、個人の経験は記録されない。そこで著者は、被災者たちの心の動きを記録し、震災をどのように乗り越えてゆくのかを研究するプロジェクトをスタートさせる。その過程で誕生したのが幽霊論文である。

ある時。著者が学生たちに「震災と死者」というテーマを与える。そのテーマに沿って、一人の学生が心霊現象について調べ始めた。

その学生は、特に被害が大きかった石巻市で「幽霊を見たことはありますか?」と被災者たちに聞いて回る調査を行った。だが、怒られるばかりでまともに答えてもらえなかったそうだ。それでも粘り強く調査を続け、1年間で200人以上から聞き取りをすることができた。

この中で、気になる事例を多く話してくれたのがタクシードライバーたちであったという。番組では、聞き取りで分かった事例について幾つか紹介されていたが、それらは非常に興味深い物であった。

 


6月の深夜。冬服のコートを着た若い女性が乗車。目的地が津波で更地になった場所であった為、不審に思い女性に聞き返すと「私は死んだのですか?」と震えた声で答える。

 


運転手が驚いてミラーを見ると、姿が消えていたのだそうだ。

 


8月の深夜。コートを着た小学生くらいと思われる女の子がタクシーを止めた。迷子かもしれないと思い、女の子に家を訪ねて付近まで送り届け、手を取って車から降ろしてあげたのだが・・・。

 


「おじちゃん、ありがとう・・・」と言うと、女の子はスーッと姿を消したという。

 


6月のお昼時。街中で若い男性を乗せると「彼女は元気だろうか?」と尋ねられた。運転手は「どこかで会いましたか?」と聞き返すのだが・・・。

 


「彼女は・・・」と言うと男性の姿が消え、座席にはリボンが付いた小さな箱が置かれていたという・・・。


これらは全て、聞き取り調査の時にドライバーたちが話してくれたことだという。ドライバーたちの証言はどれも非常に具体的で、嘘を話しているとはとても思えなかったそうだ。

そして、目撃された幽霊は若者や子供が多く、皆、家族や恋人といった大切な人に会いたい、という無念の思いを抱えていたようだ。

また、霊を見たタクシードライバーたちには1つの共通点があった。霊と遭遇した時は恐怖心を抱いたが、やがて、また乗せてあげたいと考えるようになったという。

それは、霊たちの存在が、もっと生きていたかった、両親や恋人と会いたかった、大切な人にさよならも言えないまま、この世を去ることになってしまったという無念さを表しているからである。

震災を経験し、生き残ったタクシードライバーたちにとって、霊たちの無念の思いは強く共感できるものがあるのではないか。その為、恐怖心よりも畏敬の感情が芽生えたのではないだろうか。調査した学生は、このように分析をしている。

 


もう1つ、ドライバーたちに共通することがあった。それは、これらの経験を誰にも話したくないということであった。職場の同僚や家族にすら一切話さずにいる人たちが多かったそうだ。

調査をした学生に対しても、最初はこれらの経験を話そうとせず、彼らの元に何度も通う内にようやく教えてくれたのだという。その理由を「幽霊の存在を否定されたくない。体験を、静かに大切にしまっておきたい」と話してくれたそうだ。

番組出演者のひとりが「公けにすることで頭ごなしに否定されたり、科学を持ち出して否定されることを嫌がったのでしょうね」と話していたのがとても印象に残った。


この幽霊論文は、以前には読売新聞でも取り上げられていたが、今回は、その事例についてより具体的に紹介されており、非常に興味深い内容であった。

心霊現象の体験談は、怖い部分ばかりが切り取られてクローズアップされる傾向にある。だが、かつて稲川淳二も話していたように、背景を知ると本当は切なくて悲しいものが多い。

今回の幽霊論文は、まさにそのような内容であった。突然、大地震が発生してパニックになり、思いもよらぬ大津波に襲われ、訳が分からないまま亡くなった人たちや動物たちがたくさんいた。

自分が死んだことに気付かぬまま、その魂が彷徨っていたとしても不思議ではないし、家族や恋人に会いたいという思いが残留思念となっても何ら不思議ではないのだ。

他にも、東日本大震災の被災地で霊現象を見たという報告は多くあるそうだ。中には、死んだ家族の霊が現れたという報告もあったと新聞記事で読んだ覚えがある。皆、恐怖とは違う感情を抱いているのが印象的であった。

インチキ霊能師や呪いのビデオといった作品のせいで、霊現象は安っぽい作り話というイメージがすっかり定着してしまったが、こういった不思議な体験が、大切な人を亡くした遺族にとって心の支えになっている場合もあるのだと、これらの話を見て思った次第である。

科学では決して説明できない不思議な現象は存在する。私はそう思う。

 

 


という2019年の記事でございました。これは今考えても不思議な現象であり説明のしようがありませんが、あくまで個人的な考えですが、非常に強い思念を発しながら亡くなった場合、その意思は素粒子が波を打ち(波長)周囲に残留すると考えることが出来ます。

素粒子が強烈なエネルギーを宿す残留思念であると仮定して、素粒子から電磁波と同類のいわば光子を放っていると考えると、それを受信できる人が映像として可視化し、亡くなった人たちの思いを追体験のように見ている可能性はないでしょうか🤔

霊現象を量子科学の視点で簡潔に述べるなら、これがしっくりくるような気もするけどどうなのでしょう。或いは、ゼロポイント・フィールドに存在するとされるクラウドに記録されている、亡くなった人の思いや記憶が暗黒物質に乗り我々の脳に循環しており、現場付近を通った運転手と共鳴して映像が再生された、とか。


もちろん、純粋にオカルト現象であるという説も否定はしませんが、私は、亡くなった人たちの意思が素粒子やエネルギーという量子として、私たちの脳や意識に何らかの干渉をして映像などを見せているのではないかと考えるのでございます。

タクシー運転手たちが視たという亡くなった人たちは、恋人に会いたかった人や、両親に会いたかった女の子など、大切な存在に会いたいといった強い思念を残してこの世を去っている。ということは、それだけ強いエネルギーを帯びた素粒子を現場に残している可能性があるのです。

この線で割と合っているようにも思うのですが、果たして答えが明確になるのは何十年後でございましょうか。私もこの世を去り宇宙に還っている頃でしょうなあ。

・・・いやぁ、量子科学って本当に面白いものですね。

 

量子科学や宇宙や超弦理論に私が興味を抱いたきっかけの1つは、私が水商売人をしていた時のことですが、明らかに人類の科学力を超越した未確認飛行物体を思い切り目撃した出来事かもしれません。私はメンヘラでも薬物依存でも何でもないぞ、至って普通の思考状態だ!😠

詳しい日時は忘れましたが、人生に悩みを抱えていた私は、終電も終わった真夜中、大阪某所の高台で空を眺めておりました。すると、何かが右側から視界にフレームインしてくるではありませんか。

 


マジでこんな物体が静かに飛んできたのです。余りにも綺麗な虹色の発光体が、非常にスムーズかつ緩やかに蛇行しながら完全無音で飛んでいるのです。光は常時、流れるように虹色に変化し、虹色の光跡を残しながらでございます。まだLEDもドローンもないガラケー時代ですぜ。

なにより、飛行物体全体からあふれ出る光は人類が発明できるようなものではなかった。表現のしようが無いほど美しく、今現在の科学技術でも100%再現不可能なほどの不思議な発光体だった。そして、完全無音で蛇行しながら飛行している。無音ですぜ?深夜の静かな高台で無音とかあり得へん。

私は、ホスト時代に1日15本~20本のバドワイザー350ml缶を飲み、シラフ状態で難波から自宅まで普通に電車に乗り帰宅していた酔わない人間です。目撃した当日は飲んですらいない。正常な状態で、この目で確かに見た!幽霊もUFOも信じないオカルト否定派だった私が、確かにこの目で見てしまった!😡🔥

1分少々、空をゆっくりと飛んでいた発光体は、山の向こう側へと消えていった。呆気に取られていた私は、ガラケーのカメラで撮影するのを忘れておりました。とはいえ、ガラケーのカメラだと、深夜の夜空を写しても無駄だったかもしれませんな。それに、下手に撮影したら連れていかれたりして(笑)。

 


人は、正常性バイアスによって常識外の出来事や話題を陰謀論や精神病と馬鹿にして切り捨てる。「有り得ない」ことを確実に証明できないにも関わらずでございます。証明できて、初めて断定すべきなのです。可能性がある限り、どちらかに断定するのではなく中立的な視点で語るべきでございます。

それが出来ない人間は、バイアスによって思考がカチコチに固まった頑固者、心理的視野狭窄を起こした柔軟性皆無の者と言えるでしょう。

そして私は未確認飛行物体をこの目で確実に見た。証拠は出せないが、私の心には今もなおハッキリと、あの美し過ぎる物体の映像が刻まれている。だから断言する。高次元は存在し、その世界の住人とUFOは存在する。三次元の住人である人類の科学技術を遥かに超越したものが存在する。

夢がある話とか、そういうことではなく、現実に私はこの目でみたのでございます。いつかきっと、科学者がそれを証明してくれると信じたい。