レトロゲームを飾って眺めているだけの男のブログ

【PC-8801】ファンタジー・ロップ 説明書スキャン画像【プチトマト】


今回のレトロゲーム説明書スキャン企画は、スタジオパンサーより1988年に発売されたPC-8801用ソフト「ファンタジー・ロップ」でございます。知名度の低い、知る人ぞ知るゲームの1つではないでしょうか。

ジャンルとしては、少々アダルト要素のあるミニゲーム集(ジグゾーパズル、パネルマッチ、クイズ、クロスワードパズル、星占い&血液型相性診断の5種が入ったバラエティ)。5人のキャラクターたちにこれらのミニゲームで挑むという内容です。

キャラクターデザインは、伝説のロリコン雑誌「プチトマト」のイラストレーターが担当。当方は当然ながら「プチトマト」なる雑誌を見たことはありませんが、かつてイラストレーターという職に憧れ目指したことがある者として、このイラストレーターのデザインはなかなか個性的で個人的に好きでございます。

とりあえず、プチトマトとイラストレーターについて検索してみるも・・・雑誌の表紙画像は出てきますが、イラストやイラストレーターに関する情報は全く出てきません。それでも検索ワードをあの手この手と変えて、ようやく出てきたものが以下の2つ。

 



これは「プチ・トマト」という雑誌ではなく、どうやら「フレッシュプチ・トマト 清岡純子 少女写真集」というロリコン写真集の裏表紙のようです。清岡純子という方は有名な写真家らしいのですが、プチトマトを含めてさっぱり分かりません。

しかしながら、イラストはいい感じです。エロ漫画みたいな露骨な雰囲気はなく、健全な80年代イラストに感じます。イラストレーターの名は不明ですがイラスト集があれば欲しいなあ。プチトマトは野菜以外は要らんけど🙄🍅

 

で、「ファンタジー・ロップ」という作品は、とにかく情報が少ない。当時のPC雑誌にこれといった紹介記事は無く、ネットを検索しても出てきません。近年はエミュを利用したレトロPCゲーの紹介サイトやYoutube動画が多く出てきますが、本作を取り上げたサイトや動画は皆無に等しい状況です。

本作の開発~発売当時、私は小学生にしてベーマガやログインを購読していたという変態ですが(MSXの投稿プログラム目当てやで😑)、本作の特集記事を目にした記憶はありません。テクノポリス辺りだと取り上げられていたのかな?

当時のログインに掲載されているスタジオパンサーの広告記事を貼り付けておきましょう。PCから御覧の方はクリックで拡大できます。スマホから御覧の方は、ピンチアウト操作で拡大可能です。はてなの仕様上、最大1200pxlで投稿しています。

 

 


「ファンタジー・ロップ」発売前、1987年秋の広告。登場キャラの1人は年齢12歳って今だと完全にアウトじゃろお。ってか、他もよく見ると15歳、16歳、17歳って設定からしてアウアウ😱

広告下半分の「ACTOR」は、スタジオパンサーが開発したグラフィック&アニメーション制作ツールです。PC8801とPC9801で発売されました。「ファンタジー・ロップ」も本ツールを使用してアニメーションが制作されているみたいです。

 


これですね。当時としては画期的なツールでした。この辺りから、音楽ツール以外にもグラフィックツールやゲーム制作ツールが登場し始めました。RPGツクールの元祖であるMSX「Dante」をタケルで購入して熱中したものです😊

 

 


1988年初旬、本作発売直前の広告。暁子さんは場末のスナックにいそうな感じやな😅

 


1988年春、発売直後の広告。「ねこ科」の人募集中!というスタジオパンサーの求人も掲載されています。好評発売中「いけにえの街」「ロリータバイオレンス」って、確かアダルティンの作品だったような?

調べてみると、2作品ともアダルティンとパンサーの両方がクレジットされている。アダルティンはパンサー系列のソフトハウスなのでしょうか?さっぱり分からねえ。つか、どちらの作品もキャラデザはファンタジーロップの人と同じ??🤔

 

という訳で、メインのスキャン画像でございます。本作の説明書は、5人の登場キャラたちが書いたラブレターという体で封筒に封入されており、ハートマークのシールで封をした状態で入っております。なかなか凝った仕様と言いますか、この時代のゲームのパッケージはいい意味で手作り感あふれるお遊びが多くて素敵です。今はデジタルマニュアルで面白味もなにもありませんからねえ。

 


こんな感じです。パンサーの女性スタッフたちの直筆でしょうか。それともスタッフの奥様などご家族が書いたとか?男性スタッフが一生懸命に丸文字で書いていたら、それはそれで面白いな😂

では、スキャン画像でございます。広告同様に最大1200pxlで投稿しております。

 

 

パッケージ


 

 

パッケージ帯

 

 

フロッピーディスク

 

 

マニュアル封筒



郵便番号5桁の時代😲

 

 

ユーザー登録カード


登録No.には予め番号が印字されております。今から送ったら登録できるかな?パンサーって今も活動していたっけ?😳

 

 

説明書


説明書はこの用紙1部となっております。説明書にもユーザー登録No.が印字されています。

 

 

ラブレターマニュアル(5通)



この時代から「。。。」を多用するメンヘラチックな文章は存在した!😲

 



この文章は、物差しか定規を添えて書いたのでしょう。私も昔はよく定規を添えて丁寧に文章を書いたものです。こういう書き手の特徴が表れる手書きマニュアル、いいですよね。

 



きゃぴきゃぴ・・・私の世代でも既に死語だったぞ😨

 



同じ人が複数担当して、わざと字体を崩して書いている?何となくだけどそんな感じが🤔

 



暁子姐さんは、もっと大人なラブレターにして欲しかったなあ。って妹の洋子?洋子(17歳)は妹だったんか。初めて知ったわ😦

 

 

ということで、情報が少ないファンタジーロップについて取り上げてみました。スタジオパンサーの作品は、ゲームパッケージや広告を含めて全体的に色使いが暗くて見た目が苦手ですが(神の聖都などもそうでしょう)、本作はシンプルで明るい色使いに個性的なキャラクターと、パッケージも魅力的な作りになっていると思います。それなのに広告は何故ダークな雰囲気なのか。

駿河屋にも画像が存在しないほど、当時から流通量が少ない作品なのでしょう。そういえば、PC88のROMイメージ(正確にはDISKイメージか)を配布していたサイトを見ても、本作のイメージファイルは置いてありません。存在自体が知られていないのかもしれません。

個人的には、キャラデザを担当したイラストレーターの情報を知りたいところです。ちなみに私はロリコンではありません。勘違いなさらないように😠

以上です。

は~りぃふぉっくす 雪の魔王編 説明書スキャン画像【レトロゲーム】


久々のレトロゲーム説明書スキャン企画は、マイクロキャビンの初期代表作である「はーりぃふぉっくす 雪の魔王編」PC-6001版を紹介します😙

 

 


昔、ロムスの森というところに、大変仲のいい親子ギツネがいました。ある時、子ギツネが、ロムス病というとても恐ろしい病気にかかってしまいました。我が子の命を救う為、母ギツネは自分の身にふりかかるであろう危険も顧みず、果てしない旅へと出発したのです。

 


そして無事に子ギツネの命を救って目出度し目出度し、という内容の前作「はーりぃふぉっくす」が1984年末に各PC機種で発売されました。私は最後発のMSX版「スペシャル」をプレイしております。クリアまで遊んだはずですが、内容に関して記憶から殆ど抹消されている模様。

そして1986年夏。続編「雪の魔王編」が登場しました。当時、映画「南極物語」のヒット、そしてムツゴロウ王国の人気者チャトランとパグ犬プー助の冒険を描いた「子猫物語」が話題を呼ぶなど、動物を主役にした映画がブームでした。もしかしたら、「はーりぃふぉっくす」シリーズも、それらの影響を少なからず受けていたかもしれませんね。

ちなみに、私は「南極物語」「子猫物語」両方を映画館で観ております。南極~は、母によると静かな映画館で私はひとり大泣きしていたそうです。しかし、内容に関して記憶から完全に抹消されております。子猫~も記憶から以下略😌💦

で、本作「雪の魔王編」を私はプレイしたことがありません。確か、MSXに関しては2作品がほぼ同時期か、「雪の魔王編」が先に発売されたような記憶があります。時代は「スーパーマリオ」「ドラクエ」がトレンドとなっており、私もファミコンに流れてしまった訳です。そしてMSXは私にとってコナミ専用機になりつつあったのでございます。

その為、本作のレビュー等について私はできません。プロジェクトEGGにて、「はーりぃふぉっくす」「雪の魔王編」のPC-6001版、MSX版、PC-8801版が配信されているそうですが、今さら遊ぶ気にもならないので、私にとっての「雪の魔王編」は、素敵なパッケージを眺めるだけの作品で終わりそうです。

 

では、ここから当時のPC雑誌に掲載された広告や紹介記事を紹介しましょう。はてなの仕様上、最大1200pxl表示となります。PCから御覧の方は画像をクリックで拡大されます。スマホから御覧の方はピンチアウト操作で拡大可能です。

 

 


お待たせしました。ほのぼのアドベンチャー「はーりぃふぉっくす」だと・・・?人間に猟銃で撃ち殺されたり、犬に嚙み殺されたり、熊に食い殺されたりするほのぼのADV??😑

 


前作「はーりぃふぉっくす」で子ギツネを病院に連れて行った少女マリを、今度は子ギツネが救い出す為に冒険に出る、みたいな物語のようです。頻繁に雑誌広告を打っていたことから、本作にかけるマイクロキャビンの熱意が感じられます。ちなみにコマンド入力式ADVです。

 


はーりぃふぉっくすトレーナー フリーサイズ3800円!これは何気に欲しい😲

 


トレーナーは色が白に変わってM・Lサイズとも3500円・・・上の3800円トレーナーは何色だったのだろう。まさかマリと同じピンク?😦

 


時代は512KB!今だと画像1枚にも満たない容量で、この時代はゲーム1作品を作っていた訳ですねえ。ファミコンドラクエ1も512KBでした。限られた容量だからこそ、この時代のゲームには制作者たちの技術やアイデアがたっぷり詰め込まれていました。

以下は当時のPC雑誌の紹介記事です。

 

 


PC-6001版の紹介記事。MSX版はグラフィックの面でどうしても劣るみたいです。セーブはテープに書き込んで行うタイプ。私も昔、データレコーダーを使ってMSXハイドライド3を遊んでいましたが、テープは読み込みが遅すぎて途中で投げました。ドラクエ2復活の呪文が楽に感じたほどです。

 



「雪の魔王編」も猟銃を持った人間に襲われる場面があるのですか。動物が殺されるゲームは当時から駄目なんよなあ😰

 


こちらはPC-8801版。PC-60版やMSX版と違い、さすが88はグラフィックが綺麗になっています。CG描写速度も速いらしく、遊びやすくなっているみたいです。

 

 


こちらは、マイコンBASICマガジンのチャレンジAVGシリーズより。当時のマイコンユーザーなら誰でも知っているであろう山下章氏の記事です。画像はMSX版を使用とのこと。

 

プロローグ
長い長い冬がロムスの森を襲った。寒さにうち震え、次々と倒れていく動物たち。そして、その中にあの母ギツネもいた。母ギツネに死なれた子ギツネは、やり場のない悲しみをひとりの少女に託そうとした。その少女の名はマリ。1年前、母を追って雪の中に倒れた子ギツネを祖父ジークの病院へ運び、やさしく看護してくれた少女だ。

ところが、子ギツネがシタンの町に着いてみると、マリはそこにはいなかった。雪の魔王へのいけにえとして、連れ去られてしまったというのだ。子ギツネは今、マリを救い出す為に、降り積もった雪の中を走りだした。

 








当時の雑誌記事類は以上でございます。ちなみに町名や地名が北海道由来であることがお分かりかと思います。舞台は北海道と考えてよいのでしょうか。北海道アイヌの血を引く関西人として気になりますなあ🤔

 

 

では、お待たせしました。スキャン画像でございます。淡々と貼っていきます。

 

パッケージ


 

 

封入物:ハガキ

 

 

封入物:グッズ案内

 

 

封入物:ノート




ノートは開くとこんな感じ。子供にとって、なかなか実用的なデザインです。さすがに折ってスキャンは堪忍してけろ🙏

 

 

ソフト(テープ)

 

 

説明書




 

以上でございます。なお、各機種合計5000本に封入されたノートは、今や滅多にお目にかかれない珍品となっているみたいです。駿河屋の付属物備考欄に「ノート」が記載されていないことから、ノートは付属物にカウントされていないのかもしれません。

という訳で、如何でしたでしょうか。プレイ済みなら、もっと詳しく色々と書くことが出来たのでしょうが、如何せん未プレイで語る資格がありません。プレイ済みであるはずの1作目についても記憶から消えている有り様です。

今、レトロゲームを新たに始める気力も時間的余裕もなく、手元にありながらゲーム内容に触れることは一生ないままだと思いますが、当記事を目にした方が本作に関心を抱き、EGGでプレイすることに繋がるならば嬉しい限りでございます。

 

akiba-pc.watch.impress.co.jp

単なる独り言 2024年4月 帯状疱疹スペシャル😭

4月30日(朝)


見た感じ、全ての水疱がカサブタになったような?ロキソニン無しでも何とか入眠できるようになりました。どうやら入浴すると、その後に尾を引くようにズキズキと痛むみたいです。半身浴だけにして患部まで浸からないようにすると痛みが随分と軽減されます。

ツイッター帯状疱疹について調べると、「エプソムソルト風呂に入っていたらすぐに回復した」という投稿があったので、私も無理やりエプソムソルト風呂に入っていたのですが、私の場合はそれが悪化(或いは痛みの増幅)に繋がった可能性があります。

それと、1日中ガーゼをしてサージカルテープを貼り付ける生活を3週間以上続けた影響で、水疱の周囲が真っ赤にただれて痛い。水疱痕が痛むのか、テープ跡が痛むのかさっぱり分かりません。

あと、今回の帯状疱疹は右半身に現れましたが、以前も書いた通り左側や背中にもぽつぽつと単純疱疹が何カ所か出ており同じくかさぶたに変化しつつあります。痒くてたまりません。今夜あたり帯状疱疹についてまとめて記事にします。亜鉛華軟膏と紫雲膏の素晴らしさを体感できたのは収穫でした。常備薬リスト入りです。

で、帯状疱疹は個人差があると思いますが激痛です。加えて怠さが襲ってきます。4月はツイッターも含めて殆どなにも出来ずに終わってしまいました。食事もロクに食べておりません。ただただグッタリと過ごした一か月でした。二度と罹りたくない🤢

 

 

4月29日(昼)


昨夜、久々にロキソニンを飲まずに寝たのですが・・・夜中になると、やはり痛みが増してくる。おまけに今も微妙に痛みがぶり返しているような感じがします。

見た感じは水疱がかさぶたになっていますが、服が擦れると痛みがある他、入浴すると患部にズキズキと痛みが生じます。また、背中にかけて定期的にズキズキッと痛みが走る辺り、まさに神経痛そのもの。3週間以上、痛みが絶え間なく続く生活。もう堪忍してくれ。

そう考えると、癌疼痛で苦しむ人たちも日々が地獄だと思います。うちのペキニーズが悪性腫瘍で定期的に悲鳴を上げていた日々をふと思い出しました。相当な激痛が常時襲っていたのでしょう。人間も動物も癌だらけの現代、記事下段で書いている通り、いい加減にカンナビノイドを解禁すべき時が来ていると私は思います。

だけど、皆、自分の番にならないと気付かないというか考えもしないんだ。私もそうでした。帯状疱疹で激痛に常時襲われる立場になって、癌疼痛で苦しむ人たち、動物たちの苦しみについて真剣に考えるようになりました。

しかし、大麻カンナビノイドには様々な病や症状を改善させてしまう効果がある。だから製薬会社から裏金をたんまりと受け取っている政治家や官僚は絶対に認めようとしない。茂木は計7億円だったか、ファイザーから受け取っている。岸田も、河野も、自民党の主要政治家どもはファイザーとモデルナから大金を貰っている。そのリストは既に出ている。

 

 

4月28日(昼)


少し赤みがとれてきたような?ズキズキした痛みも収まってきたように感じられます。就寝時はまだロキソニンに頼る必要がありますが、それ以外の時は気合い忍耐根性でなんとか耐えております。

 


昨日、紫雲膏が届きました。紫雲膏+亜鉛華軟膏を塗布して就寝したのですが、その効果か、朝になると痛みが随分と楽になっているように感じます。定期的に襲ってきたズキズキズキッという強烈な痛みは、軽いチクチクとした痛みへと軽減されたように感じます。紫雲膏、なにげに凄いかもしれません。

帯状疱疹ウイルスの分離記録もウイルス標本も存在せず、存在を証明する論文や行政文書もない。この症状は、体内に蓄積する毒素が時間を経て排出される時の症状の1つと考えるべきか。排毒症状が現れるということは、体が弱っているのではなく、体が正常に機能している証拠だと考えるべきでしょう。

体が弱っている人は、この排毒症状が現れないという。結果、いつまでも毒が体内に留まり続け、慢性的な体調不良や病気を引き起こしてしまう。病気をしないから健康だと必ずしも言える訳ではなく、排毒の機能低下が生じている場合もあり得ると考えられるでしょう。

私はもう少しで排毒完了となる訳ですが、この毒の原因がなにか、それについて考えていく必要がありそうです。精神的ストレスもあるでしょう。しかし、それ以外でも食べ続けてきたものが蓄積していた可能性もあるでしょうし、シェディング、電磁波などの影響もあるかもしれません。とにかく痛かった!

 

 

4月26日


27日朝。しんどい、寝る😪

 

 

4月25日


26日の朝に追記しております。こんな感じになりました。見た感じは少しずつ良くなっているようにも感じられます。

 


で、これはガーゼを取ったところ。御覧の通り血が混じった膿が付着しております。かさぶたになっているようで、膿が出続けている状態です。睡眠中も痛みで目が覚めます。追加で紫雲膏を注文しました。明日、到着のようです。はやく普通の状態に戻りたい、なにもする気がおきない😓

水疱がかさぶたにならず、膿を持った状態でしぶとく残り続けている状態です。亜鉛華軟膏をたっぷり塗りガーゼをしているのですが、ガーゼを取ると血が混じった膿がついてくる。一気に膿が出ると楽になるのでしょうが少量が付着するのみ。これが痛みが残り続ける原因でしょうか。

座っていても寝ていてもズキズキと痛む状態が2週間以上となると、さすがに参ってきそうです。幼少期の頃にデキモノがあっという間に固くなり、膿を出す為に切開手術をする羽目になりましたが、その時の痛みと似ているのが何とも・・・。

 

 

4月23日


昨夜の夕食は、塩サバ、納豆、切り干し大根やワカメなど色々なものを入れた野菜の味噌汁、ササニシキ(三分づき)です。コシヒカリが終わった為、ササニシキの分づき米にしてみました。

帯状疱疹は随分と痛みがマシに・・・ならず、ロキソニンの効果が切れると激痛が襲ってきます。歩いたり動くと服が擦れてなにもできない。神経痛か、水疱がまだ完全に収まっていないのか、果たしてどちらなのやら。

なんにしてもロキソニンだけで5000円以上使ってしまっている。食欲も無くて無理やり食べたという感じでございます。

それと、数日前に顔の左側(口元)に1つ赤いデキモノみたいなものが出来た。単に炎症だろうと思っていたら、こちらも気付いたら水疱状になっております。単純疱疹?背中、臀部など全身にぽつぽつと出ているけどワシどうなっているん?死ぬん?まあええけど😧

 


ところがよくなりません😢

 


これは動画でございますが預金封鎖に関するもの。必見の内容です。

 

 

4月22日


23日早朝に撮影。大して変化なし。かさぶた状態と判断していいのかもしれません。入浴すると沁みると昨日書きましたが、どうやら患部が沁みるのではなく、サージカルテープの貼り過ぎで肌がかぶれて沁みていたみたいです。元々、肌が弱い為、テープ跡が真っ赤になっております。

という訳で、水疱に関してはこれで一段落ついたかと。問題は神経痛です。昼間はまだマシですが鈍痛が定期的に発生。夜になると強い痛みが生じ、深夜になると疼痛が激しくなります。痛みで眠れないほどで、ロキソニンが欠かせない状態でございます。ロキソニンは劇薬なので体を相当破壊してしまっているでしょうなあ😧

ペインクリニックによると、夜に眠れるか否かが治療の判断基準になるという。だからと言って、結局は鎮痛剤投与やロキソニンなどの投与で終わる訳だから通院の意味などありませんけどねえ。そういえば、MSMクリームは神経痛にも効果があったはずなので、試しに塗ってみようと思います。

 


こちら3点でございます。

まず、右から一類のアラセナS軟膏。ヘルペス用の軟膏でビダラビンが主成分です。帯状疱疹で病院に行くと【抗ウイルス薬】として処方される軟膏です。処方箋薬局ではアラセナAという薬剤名になります。発症初期の時点でこれを塗ると悪化せずに収まるかと。一類ですがアマゾンなど通販で購入可。ここだけの秘密だけど、購入時の質問形式欄は「ヘルペスで通院経験あり・現在は通院していない」にするやで🤫

次に、今回、私が大変お世話になった亜鉛華軟膏です。こちらは3類で通販でも自由に購入可能。酸化亜鉛が主成分のワセリンタイプの軟膏で、進行して水疱が出来てしまった場合はこちらのほうが効果的です。

次はビタミンB12です。B12は神経伝達に深く関与する成分であり、末梢神経障害の治療に用いられる他、神経痛を和らげる目的で処方されることもあります。帯状疱疹で通院した場合、B12の医療用サプリを処方される場合があるとのこと。市販品を購入の場合、必ずメチルコバラミンタイプを購入しましょう。バイオアベイラビリティを考慮して、最低でも2mg、可能なら5mgを購入しましょう。

 


また、個人輸入でバルトレックスを常備しておくと安心でしょう。帯状疱疹で診療を受けた場合、初期の場合ほぼ確実に【抗ウイルス薬】としてバルトレックスが処方されます。これを1週間ほど服用すると、悪化せずに収まるとのこと。服用タイプの抗ウイルス薬か、先に紹介した軟膏タイプの抗ウイルス薬アラセナSか、この辺りは自己判断でどうぞ。

という訳で、まさかこの私が帯状疱疹に罹患するとは夢にも思っていませんでした。最初は肋間神経痛だと思ったのですが、気付けば赤い発疹、そして水疱へと変化しておりました。神経痛のような症状が現れた場合、帯状疱疹を疑って迅速にアラセナSを塗っておくと完封も可能かと。軟膏だと副作用も特に心配ないですからね。服用タイプのバルトレックスだと安易な使用は不安になります。

 


クソ岸田のせいで精神的ストレスから帯状疱疹に・・・😭

 



抗癌剤で細胞をぶっ壊すことはあっても癌が治ることはありません。

 


岡山大学インターンが、癌治療の闇について「至極真っ当な」論文を書いたが潰されてしまった。これが現代医療の実態。あなたはこれでも抗癌剤放射線治療に縋りますか、坂本龍一みたいに。



「結局、抗癌剤で治る癌なんて、実際にはありゃせんのですよ」と議論をまとめるように大御所の先生が言い出すと、皆、その通りだという表情で頷きました。

それじゃ「患者よがんと闘うな」の著者の近藤誠さんの言っていたことが正しかったということになるじゃありませんか?」と問うと、大御所の先生はあっさりと「そうですよ、そんなことみんな知ってますよ」と言いました。

立花隆著/NHKスペシャル取材班「がん・生と死の謎に挑む」文芸春秋

NHKもまともな取材をしているものなんですなあ。そうです、抗癌剤など効果はありません。効果があるなら、製薬会社はどうして回復率を誇らしげに公表しないのでしょうか?公表できないのです、抗がん剤治療一辺倒を選択した患者はみんな死んでいるから。

 


癌を治したければ断食をしましょう。そして高容量ビタミンCを摂取。他にも良い方法は幾らでもあります。それが出来ないナマケモノさんにも朗報。イベルメクチンが癌を消す効果があるという論文が出始めました。

また、既に特許も出されて確立されている【知られていない治療法】に、ロイコトリエン拮抗薬を服用するだけという画期的治療法が存在します。論文もあります。一般的な抗アレルギー薬ロイコトリエンは神経にも作用する為、疼痛まで消してくれる優れものです。癌など怖くないのです、医師の脅しに屈して抗がん剤など使用しては駄目でございます。

 



いつの時代も医療利権の為に真実が潰されていくのです。今の医療が正しいと思うなら、どうして現代は病人だらけになった!?医学が発達すると病人が増える仕組みなのでしょうか?矛盾していると思いませんか。

小保方晴子のスタップも潰された上に、海外に特許を取られてしまった。山中伸弥のiPSなどと比べてスタップのほうが革新的だった。しかし、山中のクソ野郎はロックフェラーがバックにいるのでございます。

よって、iPSより実用性が見込まれるスタップが世に出ることは医療利権側にとって大迷惑。小保方氏は潰され、笹井教授は自殺に追い込まれてしまった。未だに小保方氏とスタップを馬鹿にしている輩が多いことに憤りを感じます。

 


この辺りは当方もまだ知識不足ですが、ぜひ、皆さまもご自身で調べてみてください。医療利権側が潰した真実を。

 



一定倍率以上の光学顕微鏡が開発禁止されている理由は、これの他にウイルス学にも関連してきます。バレるんですよ、ウイルス学における電子顕微鏡のインチキが。ほーんと医学も科学も嘘ばっか。嘘も100回言えば真実になる朝鮮人も真っ青の嘘まみれの世界やわ。

 


こーゆーこと。

 


笹川良一はCIA工作員統一教会別同組織・勝共連合を作ったクズ野郎ですな。安倍の爺さんである岸信介の盟友で売国奴竹中平蔵は医療利権にも絡んでいるのか。マジで暗殺されるべき極悪人ですな。

健康診断や人間ドックに行く人間ほど寿命が短いという世界共通のデータが出ております。理由はもうお察しでしょう。

 

 

4月21日


22日早朝撮影。右上の部分に何故か水疱が新たに出来ているような?痛みは変わらず、ロキソニン無しでは過ごせない。患部だけではなく背中にかけて痛みがあることから帯状疱疹が排毒に関係する神経痛であることが分かります。

病院での処置はビダラビンとロキソニン投与が主であることから、仮に病院に行っていたとしても、恐らく似たような経過を辿ったと思われます。これで痛みが残り続ける場合はペインクリニックで向精神薬などの類を処方されるのでしょう。そんなもん要らねえ、痛みくらい根性で耐えてやらい。

昨日、ビダラビンクリームが到着しましたが、発症初期に使用しないと意味がない為、今回は無駄となりました。今回はあくまで亜鉛華軟膏とロキソニンだけで乗り切ります。

当ブログの精神疾患の記事にて記述しております通り、神経にはビタミンB12が深く関係しております。中高年で神経痛や関節痛が生じる場合はB12欠乏が疑われます(40歳前後を境に食事でB12を吸収活性することは困難になる)。帯状疱疹による神経痛もB12が回復に必須と考え注文した次第です。

今、日本はワクチン接種+5Gによる免疫低下が原因の帯状疱疹が急増しているみたいです。繰り返しますがウイルスなどではありません。個人輸入で購入できる帯状疱疹用の薬剤もあります。備蓄しておくことで、悪化させず自宅治療で完治が可能です。必要なものを今夜か明日朝にまとめて書いておきましょう。

ちなみに、激痛が生じてから食欲がまったく無かった為、ここ数日ロクに食べておりませんでした。結果、ズボンがずり落ちる状態になりました(笑)。患部が染みる為、入浴もできていません。強い痛みがまだ残りますが今日から底辺労働に行ってきます。

 

 

4月20日


うーん、やはりロキソニンを服用しないと痛みで眠れない。針でぶすぶすぶすっと連続して刺される痛みから、ぶすっと1発刺される痛みに少し改善されたものの激痛であることに変わりはありません。アシナガバチやムカデに刺された時の痛みよりも激しいです。あと、体の怠さが続いています。

 

 

4月19日


アマゾンで注文しておいた亜鉛華軟膏が昨日到着。水疱部分に塗布しておきました。画像の撮影は20日早朝。水疱の一部から膿が出てガーゼに付着しておりました。どうやら水疱の一部が破れて消えている感じです。

痛みは若干ですが和らいだ気がします。鋭い痛みから鈍い痛みに変化。ロキソニンを服用しなくても何とか過ごせそう。亜鉛華軟膏が結構効いている感じです。

 


こちらが亜鉛華軟膏。抗炎症作用があるほか、肌のただれや火傷などを保護・修復する効能があるみたいです。ワセリンに似た塗り薬といえば想像しやすいかと。

 


とある病院のサイトにあった、帯状疱疹で入院する患者用のスケジュール用紙PDF。点滴は抗ウイルス薬、痛み止めは恐らくロキソニン辺り。そして水疱に亜鉛華軟膏を塗布とあります。これを偶然発見して亜鉛華軟膏をすぐに注文した訳です。

他の医療系サイトだと、塗り薬や飲み薬は処方薬しか出てきません。要するに受診しろということですが、ウイルスでも何でもない排毒症状で抗ウイルス薬を出されても別の毒を食らうだけで無意味なので病院には行くつもりは無し。

亜鉛華軟膏は副作用も全くない極めて安全な医薬品で、これで治療できるなら有難い限りです。亜鉛華軟膏と帯状疱疹で検索しても基本的に情報は出てきませんが、この病院のPDFを発見できて本当に救われました。

 


ところで、背中や足にも水疱らしきものが出てきました。帯状疱疹は通常、半身のみに症状が現れるとあります。今回の私の場合は右半身です。ところが左足にも点々と水疱が出ております。

帯状疱疹でも免疫機能が極めて低下している場合、稀に両側に症状が出ることがあるそうです。ただ、通常はあり得ないということで、両側に症状が出た場合はエイズなど別の病気を疑う必要がある、とのこと。ほーん、エイズ。おもろそう😲

ともあれ亜鉛華軟膏のお陰で少し楽になりました。体調が整いましたら、これから日本で急増するであろう帯状疱疹が起きても大丈夫なように、常備しておくべき薬について整理して投稿したいと思います。その辺の病院に行っても、テンプレ通り抗ウイルス薬と痛み止めを出されるだけ。

 

 

4月18日


昨日と変わらず。針をブスブスと何度も刺されるような激痛が30秒~60秒に1回の頻度で訪れる。また、神経痛が右半身、特に水疱が集中している部分を中心に常時ある。ロキソニンを多量に服用すると神経痛はマシになるものの、針で刺されるような激痛は変化なし。

帯状疱疹の症状は人によって様々らしいが、私の症状はどうやら日常生活が困難になるレベルの部類らしい。うずくまるレベルの激痛です。ロキソニンのストックが今日で終わるので、昨日、アマゾンと楽天で注文しておいた。

帯状疱疹はウイルスではなく排毒症状の1つだが、これだけ症状が重いということは相当な毒が蓄積していたということだろうか?食に気を付け超加工食品も菓子類もまったく食べない私がなぜ?

考えられるのは電車内や商業施設、バイト先でのシェディングか?自分が一生懸命に気を付けても周囲に毒を食らわされ、こんな激痛に見舞われるなんて馬鹿らしくなってくる😓

4月7日から肋間神経痛のような痛みが生じているが、これが帯状疱疹の始まりと考えると、これを書いている19日早朝も激痛が継続していので、もう12日間が経過しているのに一向に良くならない。元気になりたい、しんどい。

 

 

4月17日


今週いっぱい休みます。怠さなども出てきました。激痛で眠れない、ロキソニン効かない😵

 

 

4月16日


17日朝の帯状疱疹の様子。相変わらず針を突き刺すような激痛の連続で動くことが出来ない為、今日も休みます。しんどくてブログを書く気力もでません。

 

 

4月15日


これは私の脇腹付近に出来た水疱です。これが右半身と背中に出来ております。昨秋に出来たものはもっと赤くて水疱ではなく湿疹でした。今回のものは、見事なまでに分かりやすい水疱瘡ですなあ(苦笑)。

私は子供の頃に水疱瘡を経験しているのですが、水疱瘡帯状疱疹と呼ばれるこの症状は幼少期の経験の有無ではなく、生まれ持ったストレス耐性レベルによって発症の頻度が変わってくるみたいです。つまり、ストレスによって現れる症状です。

で、水疱瘡帯状疱疹は精神性ストレス疾患とのこと。私は自分で気付かぬうちに精神的ストレスを負っていたということでしょう。それにより細胞が炎症を起こし、排毒作用としてこの症状が現れているということです。しかし、アシナガバチに刺された時みたいにズキズキちくちくしてめちゃ痛い。

繰り返しますがウイルスではありません。詳しくは、ツイッターでよくリツイートさせて頂いているまささんのブログをご覧ください。

 

このブログに書かれていることに反論できる方はご連絡ください。冗談抜きで大金を手にすることが出来るイベントを紹介いたします。元京大のウイルス学者・宮沢教授は呼びかけにブロックして逃げました。

 

 

4月14日


昨夜の夕食は野菜たっぷりカレー蕎麦です。八割蕎麦を使用しています。惰性でなんとなく食事を摂ってしまいました。

 


帯状疱疹が痛くてつらい。はやく解毒してけろ~という思いから、大切な人のお母様から頂いた小松菜をたっぷり入れました。小松菜の解毒作用は一般的な野菜の中ではトップクラスです。加えて栄養価も高い。有難い野菜でございます🙏

ということで、がっつり食べてしまいました。これを書いているのは15日早朝ですが、今日は24時間断食を決行です。治癒を優先させてはやく元に戻らねば。痛い。

 

 

4月13日


13日の夕食は、ナポリタンっぽいスパゲッティ定食です。ウインナーや玉ねぎではなく、鶏つくねやキャベツなどを具材に使ったナンチャッテ・ナポリタンです。

 


大切な人から頂いた業務用タバスコをかけて、それではいただきます😌

 


味付けはいつも通りのケチャップ、ウスターソースコンソメ、バターでございます。ナポリタンに豪華な食材や調味料は不要です。

ところで今日は体調が悪いです。というか、肋間神経痛か帯状疱疹か分かりませんが赤い湿疹がまた出始めました。昨秋の時よりも痛みが強く、少し動くだけでズキズキとしてなにもする気が起きません。おまけに怠い、今日は1日寝ていよう😞

 


使用しているパスタは当然、古代小麦スペルト小麦のパスタです。ここまで健康面に気を付けていてもストレス性の湿疹が出るということは、電車、街中、労働場所、家の中に何らかの問題が潜む可能性を考慮したほうがいいのでしょう。

念の為、イベルメクチンを久々に服用しましたが果たしてどうでしょうか。とにかく痛みが消えてくれないと、服が擦れるだけで激痛が走るのでかないまへん。寝ている時も痛みで目が覚めることがあります。

ん?そういえば、アシナガバチに刺された時の痛みによく似ているような・・・蜂に刺されて急性炎症が起こると痛みが生じます。自然治癒機能における排毒が行われている時、痛みが生じるのです。毒素を内部から押し出しているのだから痛みが生じて当然です。

ということは、似たような痛みが生じている今、私の体は何らかの毒を排出しようとしている最中なのです。自分の体を信じて、もうしばらくじっと耐えよう。それにしても痛い😞

 

4月12日


昨夜の夕食は、味噌煮込みうどんならぬ味噌煮込み八割蕎麦でございます。カクキュー無添加八丁味噌をたっぷりと使用した、愛知県人狂喜の濃い目の味噌煮込みです。ちなみに私は愛知県生まれではなく故郷がありません。

肋間神経痛と思われる痛みですが、痛む範囲が広がってきたほか、服が擦れるだけでズキズキした痛みが走るようになりました。この感覚は昨秋、体中に発生した痛みを伴う赤い発疹と似ている感じです。肋間神経痛ではなくソレかと思います。

 


一月万冊主催の清水氏が、「真面目に働いて節約と貯金をしていたら大丈夫でしょ」・・・と思っている人たちが一番危ないと話しておりましたが、これもその通りですねえ。日本円という形で持っているだけで資産価値が落ちていく状況にあるのだから、今、気付いている人たちが外貨両替機に並んでいる訳でしょう。

フィリピンからの観光客が「日本ってこんなに物が安いんだ」と驚いている報道があったそうですが、この時点でかなり危険であると認識すべきなのです。日本はもう東南アジアに遠く及ばないレベルの経済国に堕ちたのですから。

マスコミはCPIやPPIだけで景気を楽観的に報じていますが、実質数値で報道などしたら皆が不安と混乱に陥るからできませんわなあ。「Transition Into Serious Delinquency」で米国のローン滞納率を見ることが出来ますが、1ヵ月だけではなく3ヵ月滞納率が上昇しています。3ヵ月ということは強制解約状態です。金利は8.15%まで上昇で、自動者保険料は20%増です。

 

報道機関や経済アナリストがデータ元としてよく参照にするサイトにて、企業の業績悪化による従業員解雇数をグラフにして公開されています。今、米国において最も解雇が多い業種が銀行です。

 


銀行が経営悪化から従業員を解雇しまくっているというデータが出ております。米国は地方銀行の連鎖倒産が始まっており、今後さらに加速していくと考えられるでしょう。日本のメディアは表向き景気が上向いたように見えるCPIばかりを取り上げて、この数値を報道しません。

 


FREDの短期・長期投資有価証券の差を表すグラフイールドカーブ)です。短期=預金者へ支払う金利、長期=企業への貸付け・企業から銀行が受け取る金利。利ざや(長短金利差)がプラスの場合、長期金利が高い状態で銀行側が安定して利益を出せる状態。マイナスの場合、短期金利が高く銀行に損失が出る状況にあります。

つまり、マイナスだと銀行の投資有価証券の含み損が膨れがっているということになります。最新データで少し解消しているように見えますが、まだまだ危険水域にあります。2008年リーマン時と比較してください。もっと深刻な状況です。間もなくリセッション入りでしょ。

 


これは連邦預金保険公社の米銀行の預金状況グラフです。2022年以降、統計史上最悪の減少具合となっております。銀行の連鎖破綻を防ぐ為にFRBが実施していた緊急貸出し制度も終了した為、今後、莫大な金額を銀行は返済しなくてはなりません。預金額が減少している中で返済できると思いますか?

もっと様々な危険を知らせるデータがあるのですが、米国の話だから大丈夫ではなく日本も同じ道を辿ると考えたほうがいいかと。

 

 

4月11日


夕食に塩鯖を焼いてカレー蕎麦を作っただよ。肋間神経痛でじっと座っているだけでもズキズキと痛んでつらすぎるだよ😭

 


具材に、うまか鶏の胸肉、白菜、にんじん、玉ねぎ、わかめ、大切な人のお母様から頂いた小松菜でございます。

 


奴隷バイトの帰り、疲労と激痛で甘い物が食べたかったという強引な理由でミスドに行き、毎年恒例・祇園辻利コラボシリーズを購入してきました。【お濃いドーナツ とろり抹茶クリーム】248円です。健康に悪いしおいしそー😺

 


手に持つとぐにょんとヘタった感じ。2021年のドーナツはこんなこと無かったけどなあ。まあ、材料費・エネルギー高騰の中で248円だから、スケールダウンも致し方ないのかもしれません。味はまあまあ。うーむ・・・抹茶ミルクとあんこを食べながらポンデリングのプレーンを食べていたら同じような感じになりそうな😶

ちなみに米国CPIは3.5%upでドル買いが加速しましたが、アトランタ連銀が出しているスティッキープライスCPI(自分で調べてみてちょ)まで上昇しており、それに伴いクレカ、不動産など各ローン金利が異常上昇しております。

金利を加味した実質CPIは8%、NFIB中小企業楽観指数はリーマンショック直後以来の低水準である88.5%で実質(悪い)インフレ継続です。この先、リーマン越えは間違いないでしょう。米国は既に異常高金利でローン滞納および破産申請が激増しており、中小企業や地方銀行の連鎖倒産が加速し始めています。

しかし、先述の通り金利を下げるとインフレ加速とスタグフに繋がる為、それもできない。となると、去年も何度か書きましたが、FRBが利上げによる金融引き締めを行うしか手段が残されていない訳です。

ということは融資基準の引き締め→金融機関の貸し渋り→企業の従業員整理→失業者の増加→消費低下→物価低下→インフレ解消→リセッション到来という流れでしょう。よって、米国経済は高確率で近い将来、恐らく来年に崩壊を迎えるはずです。

米国株が暴落すると思うので下掴みしておくと、米経済リセット→再生後に超暴騰で大金持ちになれる、かも。

 

 

4月9日


夕食はカレー蕎麦でございます。しばらく手軽に作れるカレー蕎麦かインスタント麺が続くと思うので夕食のアップはストップします。はてなの記事別アクセス数を見ていると、恐らく日記記事は誰も見ておらず需要ナシと思う。

で、近況ですが、2日ほど前から現れた謎の肋骨右側~背中にかけての痛みにもがき苦しんでおります。一昨日よりも痛みが増して呼吸しているだけで痛いぞなんだこれ。肋間神経痛?

昨年あたりから今まで経験したことがなかった症状が出る辺り、もう歳でございますなあ。昨夜、更新できなかったのも座っているだけで痛くて、とても記事を書くどころではなかった為です。今はロキソニンで痛みを止めております。

 

 

4月7日


7日の夕食は、チキン南蛮定食です。当方グルテンフリー実践中の為、衣は小麦粉ではなくオートミールパウダーを使いました。他には無添加八丁味噌の味噌汁、コシヒカリ(三分づき)です。

 


甘酢もタルタルも全て自作。タルタルはゆで卵、大切な人のお母様から頂いたラッキョウで作りました。見た目はいい感じに出来上がっておりますが、実際は衣が分離してぼろぼろ。3年前、オートミールパウダーで天ぷらを作った時の失敗をすっかり忘れておりました。

 


しかし、味自体は大変に美味です。揚げ物の衣は小麦粉を使わないと難しいです。それか、高価だけど古代小麦の小麦粉を購入するか。米粉という選択もありかな。ちなみに揚げ油は純粋ラード100%です。炎症を招くサラダ油は絶対に使いません。

 

 

4月4日


4日の夕食は、麻婆豆腐定食です。添加物まみれの中華調味料を一切使用しない純和風無添加麻婆豆腐でございます😋

 


牛肉、豆腐、玉ねぎ、長ネギ、大切な人のお母様から頂いた小松菜、しょうが、にんにく、練り唐辛子、無添加八丁味噌、天日塩、黒糖、しょうゆ、無添加鶏がらスープの素。仕上げにごま油。使用したものはこれだけですが、実にいい味でございます。炒め調理も皆無で最初から最後まで煮て完結。炒める・揚げることはなるべく避けることが大事。

 


これをご飯に乗せたら麻婆丼に早変わり。ご飯はコシヒカリ(三分づき)でございます。

 


SP500恐怖指数16超えやで。いよいよメリケン株式市場に崩壊の足音が聞こえてきた。岸田は世界の潮流に逆らいバイデンの腰巾着となっていることは皆さまご存じでしょう。米国市場の崩壊わくわく🙂

 

 

4月2日


2日の夕食は、さばの煮つけ、野菜たっぷり豚汁、温泉卵を乗せたコシヒカリ(三分づき)です。大切な人のお母様から頂いたお饅頭つき。おいしかった😊

 

 

4月1日


エイプリルフールの夕食は回鍋肉丼と味噌汁です。フリーデンのやまと豚と八丁味噌を使った和風の回鍋肉。市販の中華調味料は一切使用しておりません。

 


食後のデザートは、非アルカリ処理ピュアココア+金柑甘露煮でございます。オレンジピールチョコみたいで大変に美味です。金柑だいすき🥰

WISHBONE ASH - 1971年-1974年 & 1985-1987年の珍しいライブ音源【音源追加】

2024.4.23 音源追加

 

70年代初期、英国ロック・バンドならではの哀愁を帯びた美しいメロディと、「ヤードバーズにおけるジミー・ペイジ & ジェフ・ベック以来の最も興味深いツインリード」と称された、アンディ・パウエルとテッド・ターナーによるツインギターで米国でも人気を博したウィッシュボーン・アッシュ

1990年代後半にNHK-FMで放送されていた「BBC ROCK LIVE」では、アッシュの定番音源と言える1972年パリス・シアター公演が放送されました。

司会のピーター・バラカン氏は、アンディ・パウエルとテッド・ターナーのツインリードについて大変熱く解説しており、2人の連携を非常に高く評価していたことが窺えます。ラストの20分近い「PHOENIX」の演奏が終わった後、バラカン氏が開口一番「うーん・・・名曲だ!」と絶賛した場面はとても印象的でした。

今回は、アッシュのデビュー直後から最盛期の音源と、ハードロック期の1985年~1987年の音源を紹介しましょう!それではスタート!😀

 

 


L.A. BLUES 1971 (2000GFRR 509)

1. Blind Eye
2. Lady Whiskey
3. Errors Of My Way
4. Phoenix
5. Queen Of Torture
6. Vas Dis
7. L. A. Blues
8. Handy
9. Where Were You Tomorrow?
Live at Whiskey-A-Go-Go, Los Angeles, CA Mar 5, 1971

1971年3月5日ロス公演をオーディエンス録音で収録。2000GFRRレーベル、1CDR。オフィシャル盤やデビュー初期のBBC関係の音源や映像を除き、バンド最初期の音源を収録したブートと思われる。

この時点では1stアルバム1枚しかリリースされておらず、セットは1st全曲と2nd「Pilgrimage」に収録される"Where Were You Tomorrow?"及び、Brother Jack Mcduffのカヴァー"Vas Dis"が組み込まれている。

"L. A. Blues"なる曲は、71年2月~3月の北米ツアーでのみ演奏されていた曲らしいが、当時の北米ツアーのセットリストが一切分からない為、詳細不明。

アメリカのアッシュ・ファンクラブ代表Dr. Johnが監修した、1993年リリースのレア音源コンピレーション「From The Archives Vol 1」に収録された音源と同一と思われる(71年のライブ音源から収録されたのは"L. A. Blues"の1曲だけ)。

バンドは2nd「Pilgrimage」でブルーズ色が薄れ、3rd「Argus」ではプログレ色が強まるが、この時点ではブルーズ色がかなり濃い演奏である。最新インタビューで、アンディ・パウエルが、英国ブルーズの第一人者ピーター・グリーンに強く憧れを抱いていたことを話していたが、その影響が色濃く出ているといっていいだろう。

リユニオン崩壊後、バンドのブランドを破壊した、バンドを私物化していると言った批判が多いアンディ・パウエルだが、こういった初期の音源を聴くと、アッシュサウンドの骨格を作り上げたのはアンディであると感じることが出来る。

自身がバンドのサウンドを作り上げ守り抜いてきたという自負があるからこそ、批判があろうと己の信念を貫いているのかもしれない。


「From The Archives Vol 1」を聴くと分かるが、同アルバム収録の音源と比べ、このブートに収録された音源はピッチがやや高い。前半は少し怪しい個所もあるがピッチは良好である。

"Phoenix"が終わった後、録音が一旦中止される。録音再開後の"Queen Of Torture"辺りからピッチが狂い始めてくる。その後も不安定で調整が難しい。ちなみに"Phoenix"は後のライブと比べてスピーディなテンポで演奏されている。音が細いスタジオテイクと比べてハードロックに近い印象だ。

ハードかつ骨太でブルージーなアンディ・パウエルとテッド・ターナーのツインリードは、同時期の他のメジャーバンドたちのライブに勝るとも劣らぬものがある。リッチー・ブラックモアがアンディ・パウエルを高く評価するのも頷ける。

また、スティーヴ・アプトンの暴れっぷりと存在感が素晴らしい。まだ粗削りな演奏も逆にライヴ然としており魅力的だ。内容はオフィシャル「Live Dates」よりも個人的に上だと思う。それでは音源をどうぞ!

 


L.A. BLUES 1971

 

 

 


初の北米ツアーから帰国したばかりのウィッシュボーン・アッシュは、1,500人以上を動員したロンドン・ライセイム劇場での観衆の歓迎ぶりに大喜びだった。彼らは6月7日からイギリス・ツアーを開始し、7月に再び10週間のアメリカ・ツアーを行う。

最初のツアーでは、エルトン・ジョン、ジェームス・ギャング、フーと共演した。ベース奏者のマーティン・ターナーは、「僕らがとても嬉しかったことの1つは、ラジオ番組の生インタビューで、DJが前日に僕らのコンサートを観た子供たちに電話をかけてくれて、コンサートの感想を話してもらうという企画を組んでくれたことだった」と語ってくれた。

 

 


地方から来たナイスガイたち。ウィッシュボーン・アッシュとして知られる4人組は、この1年で新たな生意気さを身につけた。彼らは自分たちの音楽への思いを口にすることもあれば、自分たちには関係のないことを口にしたり足を突っ込んだりもする。スレイドに失礼な冗談を言うことさえある。

ウィッシュボーン・アッシュは、バンドの顔となる存在がいない不思議なバンドだった。しかし、彼らの音楽が個性を欠くことはなかった。最初の2枚のアルバムは音楽性の進歩の時期であるだけでなく、自分たちの音楽を見つけた時期でもあった。

サード・アルバム「Argus」はバンドを勝者へと導く作品となった。72年の英国音楽界を代表するアルバムの1つと評価されたこのアルバムは、無名だったバンドを音楽業界に欠かせない存在へと引き上げ、アルバムセールスを押し上げた。そして、イギリス中にウィッシュボーン・アッシュコピーバンドが誕生した。

 

 

アーガス・ツアー最初期の音源を2つ紹介しましょう。どちらの音源も72年のオーディエンス録音としてはなかなかの優良音源です。この時期のアッシュの演奏はどれも素晴らしい。それではどうぞ!

 


FIRST ARGUS TOUR (Breakdown-319A/B)

DISC 1
1. Opening
2. Time Was

3. Blowin' Free
4. Jailbait
5. The King Will Come
6. Band intro
7. The Pilgrim

DISC 2
1. Warrior

2. Throw Down The Sword
3. Phoenix
4. Blind Eye
5. Lady Whiskey
6. Where Were You Tomorrow
Live at Schwabingerbrau, Munich mar 26th 1972

 


pt.1



pt.2

 

 


BRITISH ROCK MEETING 1972 (Breakdown-860)

1. Time Was
2. Blowin' Free
3. Jail Bait
4. The Pilgrim
5. Warrior
6. Throw Down The Sword
7. The King Will Come
8. Phoenix
9. Where Were You Tomorrow
Live at Insel Grun, Germersheim may 22nd 1972

72年ドイツで行われた野外ロック・フェス”ブリティッシュ・ロック・ミーティング”でのウィッシュボーン・アッシュのステージを記録した発掘ライブ音源が初登場!

72年5月22日ドイツ・ゲルマースハイムで行われた”ブリティッシュ・ロック・ミーティング”はピンク・フロイドユーライア・ヒープ、ロリー・ギャラガー、ステウタス・クオー、ストローブスといった英国勢が多数出演した一大野外ロック・フェスでウィッシュボーン・アッシュはフェイセスの代わりに急遽出演したとされており、これまでこの日の音源は知られていませんでしたが今回良好クオリティのオーディエンス録音マスターが登場。まさに発掘ライブ音源として注目のタイトルです!(メーカーインフォ)

 


1972.5.22

 

 

 


ウィッシュボーン・アッシュが11月に過去最大規模の英国ツアーを行なう。アッシュは11月18日レインボー・シアター公演を皮切りに主要7都市で公演を行なうことになった。

プロモーターのピーター・ボーウィーは月曜日、「このツアーは、ウィッシュボーン・アッシュがスーパースタークラスのバンドへと大躍進を遂げる為の最後のひと押しになるだろう」と語った。

ウィッシュボーン・アッシュは10月、1ヶ月に及ぶ北米ツアーへ出発したが、12月20日にはギルフォード・シビックホールで特別追加公演を行なう。この日程は、前回のツアーで同ホールに出演した後、バンド側の要望で追加されたものである。

 

ここで、非常に珍しい72年の北米ツアーを1つ紹介しましょう。上記のドイツ公演やBBC音源以外、72年の音源は殆ど出回っておりません。特に北米ツアーは珍しいと思います。

 


Massey Hall, Toronto October 1972

1. Time Was
2. Blowing Free
3. Jail Bait
4. Warrior
5. Throw Down The Sword
6. Tuning
7. The Pilgrim
8. The King Will Come
9. Phoenix

未ブート化音源。1972年10月カナダ・トロント公演を当時としては高音質オーディエンス録音で収録。MCでカナダと発言しているので、カナダ公演で間違いないでしょう。演奏は当然ながらパーフェクトです。勢いを感じさせます。

 


pt.1

 


pt.2

 

 

 


ウィッシュボーン・アッシュは、アメリカのFMラジオ番組用にロンドン・マーキークラブでライヴを録音する。ウィッシュボーンのプロデューサー、デレク・ローレンスは「アメリカのFMラジオ・ネットワークは、徐々にバンドのライヴを放送するようになってきている」と語った。

また、テッド・ターナーが、先週、彼のアパートから盗まれたレスポールの6弦ギターと12弦ギターの行方に繋がる情報提供者に報奨金を出していることも発表された。

バンドは6月に英国ツアーを行なうにあたり、さらなるライヴ・レコーディングを行なう予定だ。

彼らはシェフィールド・シティ・ホール(14日)、ランカスター大学(15日)、リーズ大学(16日)、ニューカッスル・シティ・ホール(17日)、ハル・シティ・ホール(18日)、カーディフ・キャピトル(20日)、ポーツマス・シティ・ホール(21日)の7公演を行なう予定で、これらのコンサートがダブル・ライヴ・アルバムに収録されることが期待されている。

 

 



MARQUEE '73 (GE043)

1. The King Will Come
2. Ballad Of The Beacon
3. Warrior
4. Throw Down The Sword
5. Jail Bait
6. Rock 'n Roll Widow
7. Phoenix
8. Jailbeat*
9. The Pilgrim*
1-7 Marquee Club, London 1973

*8-9 Memphis Tennessee 8. 21. 1972

GYPSY EYEレーベル、プレス盤1CD。1973年ロンドン・マーキークラブ公演をFMエアチェック音源で収録。

上記の記事にある通り、米国のラジオ放送用に収録された音源。劣化したテープを使用しており音質はあまり良くないが、テッド・ターナーとアンディ・パウエルのツインギターが左右から綺麗に分離されたステレオで流れてくるだけで感動モノ。

演奏は、オリジナル・アッシュの完成形とも言える素晴らしさ。収録時期が重なるオフィシャル盤「ライブ・デイト」よりも、個人的にはこちらの演奏のほうが好みでございます。名門マーキーだけに、音響効果や観客との一体感はオフィシャルを凌駕していると言える。

ディスク終盤にメンフィス公演をSBDで収録。こちらは放送局に配布された非売品EP「LIVE FROM MEMPHIS」からのテイク。"Phoenix" 以外の2曲を収録。音質は当然オフィシャル級。但し、状態が悪いLPから盤起こしした為か音が若干劣化しているような?

では、音源をどうぞ!

 


marquee1973 part1

 


marquee1973 part2

 


Memphis1972

 

 

ウィッシュボーン・アッシュのライヴ・アルバムが11月30日に英国でリリースされる。アルバム「Live Dates」は、6月のイギリス・ツアー(クロイドン、ニューカッスル、レディング、ポーツマス)で録音された曲を収録した2枚組アルバムである。

アルバムはMCAから特別価格3.20ポンドで販売される。彼らは12月22日にロンドンのアレクサンドラ・パレスでスペシャル・クリスマス・コンサートを行い、アルバム「Argus」の大ヒットを記念してゴールド・レコードが授与される。

 

 


ウィッシュボーン・アッシュは、テッド・ターナーの脱退に伴うメンバーチェンジを発表した。

彼の後任は、今月初めに解散を発表した「ホーム」のメンバー、ローリー・ワイズフィールドである。彼は現在、アッシュの他のメンバーやプロデューサーのビル・シムジックと共に、8月中にマイアミでレコーディング予定のニュー・アルバムの為のリハーサルと曲作りに励んでいる。

アッシュの広報担当者は、バンドは4年間、一緒に仕事をしてきて、オリジナル・ラインナップでやれる音楽をすべて引き出したと説明した。

「バンドには新たな人材がいた方がいいと思ったし、自分の音楽キャリアをもっと他の場所で十分に伸ばすことができると考えた」とターナーは述べた。彼は来月スペインの休暇から戻り次第、新しいバンドの活動を開始する予定だ。

ワイズフィールドは、アンディ・パウエルに誘われてアッシュに加入した。バンドは基本的なツイン・ギターのコンセプトを維持し、従来のナンバーの多くを演奏し続けることを予定しているという。

新ラインナップによる最初のイギリス公演は、10月に予定されているショート・ツアーとなり、その後アメリカで行われる予定である。

 

テッド・ターナー脱退直前の音源と言えば、有名なキング・ビスケット・フラワー・アワー放送用のニュージャージー公演でしょう。しかし、ネット上にアップされているものは不完全なものばかり。ここで完全版をアップしておきましょう。

 


Live In New Jersey (AIR39)

1. Sometime World 
2. Rock 'n' Roll Widow 
3. The King Will Come 
4. Warrior
5. Blowin' Free 
6. Jailbait 
7. Phoenix 
8. Time Was 
9. Where Were You Tomorrow 

「1974年1月19日パサイク公演」のステレオ・サウンドボード録音。まだテッド・ターナーも在籍している黄金時代の末期で、『LIVE DATE』では聴けない「Sometime World」「Time Was」「Vas Dis」「Where Were You Tomorrow」も美味しく、大曲「Phoenix」も約23分という大熱演。まさに「もう1つのLIVE DATE」となる完全オフィシャル級のフル・ライヴアルバムです。(インフォより)

「Where Were You Tomorrow」は、Climax Blues Bandのギタリスト、ピーター・ヘイコック(Pete Haycock)と、サキソフォン奏者のコリン・クーパー(Colin Cooper)がゲスト参加している。では、音源をどうぞ。

 


part.1

 


part.2

 

 

以上で、オリジナル・アッシュの音源商会は終わりです。続いて、ハードロック期のアッシュを紹介いたします。

 

 

 

1985-1987 "Hard Rock Ash"


低迷期に入りつつあった時期にリリースされた「TWIN BARRELS BURNING」は、元ユーライア・ヒープトレヴァー・ボルダーが加入して作られた唯一のアルバムとなった。

英国でNWOBHMブームが巻き起こっていた影響か、同作はそれまでのクラシカルなブルーズ・ロックからハードロックへと大きく方向転換を図ったアルバムとなった。

アルバムは素晴らしい出来で売り上げも好調だったが、83年のツアーを最後にトレヴァーは脱退。後任には元トラピーズ、後にO'Ryanとしての活動でも知られるマーヴィン・スペンスが加入。

バンドは英国・欧州でツアーを行いながら、1985年7月に傑作アルバム「RAW TO THE BONE」をリリース。しかし、ツアーを終えた後、テッド・ターナーの後任として11年間バンドを支えてきたローリー・ワイズフィールドまでもが脱退。アッシュは本格的に低迷期を迎えてしまう。

ローリーが脱退する直前に行われたライブを、サウンドボード音源で収録した貴重なブートレグ盤を紹介しましょう。

 

 


NO MORE LONELY NIGHTS (TCC 050)

1. Don't Come Back
2. Livin' Proof
3. Streets Of Shame
4. Cell Of Fame
5. No More Lonely Nights
6. The King Will Come
7. Don't Cry
8. People In Motion
9. Blowin' Free

Andy Powell : guitar, vocals
Laurie Wisefield : guitar, vocals
Mervyn Spence : bass, vocals
Steve Upton : drums

Three Cool Catsというレーベルから1992年にリリースされたイタリア製ブートレグ

1985年9月14日ドイツのローレライで行われた"LORELEY METAL HAMMER FESTIVAL"というロック・イベントに出演した時の音源。他にはナザレス、デビュー直後のメタリカ、ドロ・ペッシュが在籍していたことで知られるウォーロックなども出演している。

このイベントはオフィシャル映像ソフトがリリースされており、各バンドの映像が断片的に収録されている。アッシュは「THE KING WILL COME」が収録されたが、それ以外には映像は見つかっていない。

FM放送もされたらしく、その音源をブート化したものが紹介する「NO MORE LONELY NIGHTS」である。既発アナログブート「LORELIVE DATE」も存在。本CDはスクラッチノイズやターン時のフェードアウト・インがない為、アナログ盤起こしではないと思われる。

1985年はIQを前座に従えて英国や欧州をツアーしており、小さな会場だけではなくハマースミス・オデオン、バーミンガム・オデオンなどキャパ2000~3000規模の会場でも公演を行っていることを確認。

チケット売買のサイトを見ると、SetlistFMなどには記載されていない公演も色々と出てくる。12月までコンスタントに公演を行っており、ローリーは12月いっぱいまで在籍していた可能性がありそうだ。

この時期はマーヴィン・スペンスがリード・ヴォーカルを取っているようで、「TWIN BARRELS BURNING」や「RAW TO THE BONE」と言った80年代中期のハードロック・アッシュの新曲を力強く歌い上げている。歌唱力抜群でシャウトも頻繁に繰り出す為、この時期のアッシュに非常に合っていると個人的に思う。

 


セットリストを見ても分かるように初期の定番ナンバーは3曲だけ。残りは「TWIN BARRELS BURNING」「RAW TO THE BONE」からのハードロック・ナンバーが占めており、なかなかにヘヴィで熱い演奏を展開している。

本作はミックスが変で、通常ならパウエル(左側)、ローリー(右側)のギターが左右からステレオで聴こえてくるはずが、両者のギターがモノラル団子状態でオフ気味で、スティーヴ・アプトンのドラムがかなりオン気味である。

不満点はあれども音質は良好なサウンドボードで聴きやすい。本作は1992年リリースで既に廃盤。出回った数も少なく存在自体もあまり知られていないようだ。では、貴重な1985年のライブをどうぞ!

 


fes 1985

 

 

 


Maxim, Stuttgart, Germany Jan 8. 1986

1. Don't Come Back
2. Living Proof
3. Streets Of Shame
4. Cell Of Fame
5. No More Lonely Nights
6. Underground
7. Love Is Blue 
8. The King Will Come
9. Don't Cry
10. People In Motion
11. Blowin' Free
12. Jail Bait
13. Bad Weather Blues
14. She Loves My Automobile

Andy Powell : guitar, vocals
James Crompton : guitar, vocals
Mervyn Spence : bass, vocals
Steve Upton : drums

1986年1月8日シュトゥットガルト・マキシム公演をオーディエンス録音で収録した未ブート化音源。ローリー脱退後、後任にジェイムズ・クロンプトンというギタリストが加入。

1986年もツアーに明け暮れた1年間だったようで、チケットサイトなどを調べると色々と公演の半券が出てくる。この時期のデータがろくに残されておらず詳しいことは不明。クロンプトンのギターは可もなく不可もなく、上手くバンドに溶け込んでいる感じと言える。

演奏は全体的に若干早く、曲によってはピッチが狂っているのかと思えるほど。マーヴィンは絶好調で、どの曲でも伸びやかなハイトーン・ヴォーカルを披露している。それだけに、この後すぐにバンドを脱退してしまったのが残念だ。

セットリストは前年と比べて大きな変化はないが、ZZ TOPの「She Loves My Automobile」を最後にカヴァーしている点が聴き所か。たまにカヴァーすることがあったみたいだ。

 


1986.1.8

 

 

 


Maxim, Stuttgart, Germany Jan 8. 1987

1. Living Proof
2. Genevieve
3. Streets Of Shame
4. Cell Of Fame
5. No More Lonely Nights
6. Underground
7. Don't Cry
8. The King Will Come
9. Jail Bait
10. Blowin' Free
11. Hard Times
12. Bad Weather Blues

Andy Powell : guitar, vocals
James Crompton : guitar, vocals
Andy Pyle : bass, vocals
Steve Upton : drums

1987年1月8日シュトゥットガルト・マキシム公演をオーディエンス録音で収録した未ブート化音源。上の音源からちょうど1年後の公演。

どうやらアッシュはこの時期、頻繁にこの会場でコンサートを行っていたらしい。84年以降の音源の存在を確認しているのは4種類。全てが独ツアーの音源で、3つがシュトゥットガルト・マキシム公演である。同じテーパーの録音だろうか?

マーヴィン・スペンス脱退後、ロッド・スチュワートキンクスゲイリー・ムーアのツアーにも参加していたアンディ・パイルが加入。ゲイリーとはその後も関係が続いていたみたいだ。リユニオン後のアッシュにも長く在籍することになる。

多くの曲でリード・ヴォーカルを取っているのは、そのアンディ・パイルと思われる。前任者のマーヴィンとは違いやや力強さに欠けており、ヴォーカルが若干パワーダウンした感はどうしても否めないが、アンディ・パイルも歌唱力自体は高いと感じられる。

では、音源をどうぞ!

 


1987.1.8

 

 

この年、アッシュはオリジナル4が再集結してアルバムをリリース。しかし、リユニオンの大規模なツアーが実現するのは1988年で、この年はアルバムをリリースしたのみ。ツアーは、この音源と同じ編成で行っていた。

そしてオリジナル4が再び崩壊した後、アンディ・パイルが戻ってくることになる。以上、ウィッシュボーン・アッシュの音源紹介でした😎

【PC-8801】カオスエンジェルズ 説明書スキャン画像【アスキー】


以前にアップした「カオスエンジェルズ」の説明書画像は直撮りでしたが、今回はスキャンしたものを貼り付けていきます。

1988年発売の本作はウィザードリィタイプの3DダンジョンRPG。登場するモンスターが全てきわどい格好をした女の子であり、倒すと体力に応じて「襲う」コマンドを選択できるのが斬新なシステムでした。

一般的なアダルトゲームのように露骨な描写はなくチラリズムが中心の控え目なグラフィックで、メインはあくまでゲーム部分と言えるでしょう。アダルトゲームでありながらよく作り込まれたゲーム性が話題となり、本作はヒットしました。ユーザーに支持された理由も、ゲーム性の高さが大きかったと言えるでしょう。

同時期、elfから同じくアダルト3D-PRG「ドラゴンナイト」が登場し、こちらも作り込まれたゲーム性が話題を呼びました。「カオスエンジェルズ」と「ドラゴンナイト」のヒットは、それまでゲーム性が皆無に等しかったアダルトゲーム業界に革命をもたらした、と当時のPCゲーム書籍にて評されていたと記憶しております。

 

 


ここで一部雑誌記事を紹介しましょう。PC-8801版発売直前の記事より。ピンチアウト操作(PCは画像クリック)で拡大表示できます。

 


MSXユーザーとしてリアルタイムで愛読していたMSX FAN誌掲載のカオスエンジェルズ関連記事も紹介します。

 



画像だけを見ると単なるギャルゲーですが、当時の3D-RPGとしては家庭用ゲーム機の作品にも負けず劣らずの内容とバランスです。さすが、元祖3D-RPGウィザードリィ」のFC版移植を手掛けたアスキー。しかし、当のアスキーは本作を今現在に至るまで黒歴史扱いしています。いい作品なのに何故だろう🤔

 

以下はPC-8801版の改造プログラム。

 


ブランクディスクとか懐かしい。アクセス中にディスクをぶっこ抜いて壊したこともありました。交換してくれた上にグッズまで一緒に送ってくれたファルコムありがとう😌🙏

 

 


パッケージ・イラストは、PCエンジン銀河お嬢様伝説ユナ」シリーズで一躍人気イラストレーターとなる明貴美加氏によるもの。

ただし、明貴美加氏のデザインはジャケットと説明書だけであり、ゲーム内のキャラデザインはY人氏(上野健司)がデザインを担当しています。Y人氏はPC88のゲームに詳しい人ならご存じかと思います。個人的にはY人氏のデザインのほうが好きでございます。

 

 

 

誰が何の為に建てた塔なのか?貴方は短剣を片手に、壮大な時の魔法に戦いを挑んだ。不可思議なダンジョン、突然現るモンスター。謎は謎を呼び、月は静かに満ちては欠ける。手掛かりは壁の落書きだけだ。

貴方は塔を、色と欲を極めることができるだろうか・・・。豊富なグラフィックと軽快なBGMが冒険に彩りを添える。RPGの決定的娯楽版、ここに誕生!

 

 

■パッケージ



グラフィックデザイン・上野健司とありますが、この方がY人氏です。同氏は他にもPC88関連の同人ゲームなども色々と関わっています。

 

フロッピーディスク


スキャンするの忘れていたから直撮り画像で堪忍🙏

 

■封入物


カオスエンジェルズの封入物と言えば、この特大ステッカーシール。実際に使用した人は果たしているのでしょうか?

 



アンケートはがき。昭和65年まで有効・・・😱

以上がオリジナル版であるPC-8801版の内容物です。移植版(PC-9801版・MSX2版)はコピープロテクトとして地図が封入されており、ゲーム途中で地図に記載されているキーワードを入力しないと進めません。88版でコピーが相当横行したみたいです。それだけ人気だったのでしょう。

ここから説明書画像ですが、はてなブログの仕様上1200pxl以上は表示できない為、最大1200pxlでアップしております。繰り返しになりますが、スマホはピンチアウト操作、PCは画像クリックで拡大が可能です。


■説明書





実に80年代的なノリが漂う説明書でした。

 

如何でしたでしょうか。今では本作を知る人は少ないでしょうが、ゲーム内容、グラフィック、BGMなど、当時としては水準以上の出来でございます。レトロゲームが好きな人ならきっと楽しめること間違いなしでしょう。

今だと「MSXマガジン永久保存版3」に収録された公式エミュレーターMSX2版がプレイできるみたいです。PC88/98版は実機でプレイするしかないみたいなのでエミュで・・・おっと誰か来たようだ😱


以上です。おわり😊

【エイジア】ASIA - Bootleg File 1984-1990 幻のASTRA TOUR【John Wetton】

※過去記事の再掲載

 


マイケル・シェンカーそっくりな人がおりますが・・・マイケルではなくパット・スロールが加入した再結成エイジアによる「幻のASTRA TOUR】とも受け取れる1990年のツアーと、パット・スロール加入以前に始動したウェットン・パーマーによるエイジア名義のバンドの音源を収録したブートレグを紹介します😃

 

ALPHA TOUR後、ジョン・ウェットンの脱退(解雇)とグレッグ・レイクの加入による新ラインナップとなったエイジアが1983年12月に日本初来日。しかし、レイクは程なくしてバンドを脱退。84年に入りウェットンがエイジアに復帰。代わりにハウが脱退してしまう。

後任にマンディ・メイヤーが参加して85年「ASTRA」をリリース。ダウンズによると、ゲフィンは宣伝などサポートをしてくれなかったと話している。ウェットンとダウンズによるポップセンス溢れる洗練された曲が並ぶ良作だったが、セールスは芳しくなく、ビルボード67位と散々な結果に終わった。

結果、ゲフィンは予定されていたツアーを中止してしまう。"ASTRA TOUR" は幻となってしまった。正式な解散宣言は出していないものの事実上の活動停止となる。この時期、ウェットンはラジオやライブイベントに出演しており音源がブート化されている。

 

 


JOHN WETTON BAND - THE CIRCLE OF TREASURES

レーベル不明、6CDR。1999年のウェットンバンドの来日公演や、エイジア名義で行われた1989年ドイツ公演、再結成エイジアの1990年ロックフェス出演時の音源、トレバー・ラビンが参加した1981年のデモ音源などを収録した大変豪華な内容。その中に、84年のデモとされる謎の音源が入っております。

 


DISC6 TRACK10「ASTRA」制作中の頃に録音されたという"GO"のデモ音源が何故か1曲だけあるのですが、本当にデモ音源なのか何なのかサッパリわかりません。とりあえず聴いてみてください。

 


"go" 1984 Studio Demo?

 

 


DISC4 TRACK6には、1986年1月にラジオに出演した際の音源でしょうか、非常に聴きやすい高音質でインタビュー音源が収録されております。インタビューの合間には「ASTRA」収録の各曲が流れるなど、何だかリアルタイムで聴いているみたいな気分になります😊

 


John Wetton Interview
The January 1986 Guide

 

 

 

 

 

 


JOHN WETTON - ROBIN GEORGE - CARL PALMER - DON AIREY - GO CLUBBING! (ayanami-007)

1. Intro
2. Sole Survivor

3. Only Time Will Tell
4. Go Down Fighting
5. Keep On Loving Yourself
6. Don't Cry
7. Heartline
8. The Smile Has Left Your Eyes
9. Honkey Tonk Woman
10. Don Airey Keyboard Solo

11. Dangerous Music
12. Time Again
13.  Back In The Ussr
14. Heat Of The Moment


AYANAMIレーベル、1CDR。1986年6月4日ロンドン・マーキークラブ公演をオーディエンス録音で収録。エイジア名義で行われたライブではないが、その理由等については他のサイト様でご覧になってください丸投げですいません。

まさかのドン・エイリーが参加、彼が奏でるエイジアナンバーがとにかく素晴らしい。恐らく当時は未発表曲であったウェットン・マンザネラの曲"KEEP ON LOVING YOURSELF"では、スペシャルゲストとしてフィル・マンザネラが登場

本作も近年、VIRTUOSOレーベルよりアップグレードされて登場している。今から購入するならそちらが良いでしょう。では、音源をどうぞ!

 


part.1

 


part.2

 

 

 

 

 

この後、ウェットンとダウンズは、元シン・リジィのスコット・ゴーハム、元a-haのマイケル・スタージスを加えてバンドを立て直そうとするがレコード契約を得るには至らなかった。

1988年、映画「カクテル」の主題歌ココモのヒットで人気が再燃していたビーチ・ボーイズは大規模なツアーを計画。ウェットンは関係者から「エイジアとしてツアーに帯同しないか」と誘われ、バンドは再始動に向けて動き出す・・・みたいな感じだったと思います。

キース・エマーソンとの3(スリー)が早々と解散となったカール・パーマーはエイジアへの参加が決まるが、ソロプロジェクトで忙しかったジェフ・ダウンズは、スケジュールの都合がつかず参加をひとまず見送った。

スティーヴ・ハウはABW&Hが始動していたことやウェットンとの確執もあり不参加。ウェットンとパーマーの2人でエイジアとしての活動が再開した。

バンドは1989年9月にビーチ・ボーイズのツアーに参加後、単独でイット・バイツらとツアーを行い、11月にドイツを回った。その時のブートレグが僅かながら出回った、らしい。私は1種類しか入手できませんでした。

 

 

 


PRAYIN' 4 A MIRACLE (APRL 891112)

DISC 1
1. Opening
2. Wildest Dreams
3. Sole Survivor
4. Go
5. Don't Cry
6. Voice Of America
7. The Last One Home
8. Only Time Will Tell
9. Oh! Carolann
10. Too Late
11. Prayin' 4 A Miracle

DISC 2
1. True Colors
2. Open Your Eyes
3. Instrumental Tune
4. The Smile Has Left Your Eyes
5. The Heat Goes On~drums Solo
6. Time Again
7. Heat Of The Moment
8. Gimme Some Lovin'
9. Prayin' 4 A Miracle (edit/remix)*
*Bonus Track

John Wetton - Bass, Vocal
Carl Palmer - Drums
John Young - Keyboards
Holger Larish - Guitar
Zoe Nicholas - Chorus
Susie Webb - Chorus


ASIA PROJECT RECORDS LIMITEDレーベル2CDR。ジョン・ウェットンカール・パーマーによるエイジア名義での短期ドイツ・ツアーから、1989年11月12日ドイツ・ラシュタット公演をオーディエンス録音で収録。ブートビデオから音声を落としたもの、らしいが詳しくは分かりません。

この時は、後にウェットンのバンドに参加するジョン・ヤング、ドイツ人ギタリストのホルガー・ラリッシュ、コーラスにゾーイ・ニコラス&スージー・ウェッブというラインナップだったようだ。

演奏は正直に言って、ダウンズやパット・スロールが参加した1990年エイジアのほうが圧倒的に完成度が高い。ホルガー・ラリッシュはどことなくマンディ・メイヤーが奏でる音に似ており、アストラからの曲に関してはこの編成のほうが疑似アストラ・ツアーらしさを感じさせる。

セットリストからも3年越しで実現したアストラ・ツアーといった所か。このツアーでしか演奏されなかった"TOO LATE"や"TRUE COLORS"など聴き所も多い。"KARI-ANNE"のプロトタイプが演奏されている点も面白い。個人的には、完成版よりもプロト版のほうが良く出来ていると思う。では、試聴音源をどうぞ。

 


part.1

 


part.2

 

 

 

 

 


この後、ジェフ・ダウンズやパット・スロールが参加して正式な形で再結成となった。90年8月、ベスト盤「THEN & NOW」をリリース。アルバムはビルボード114位と振るわなかったが、じわじわと売り上げを積み重ね1998年に累計50万枚を出荷してゴールド認定。

新生エイジアは1990年6月23日にノッティンガムでスタジオライブを行った後、9月からツアーを日本からスタート。

 

 


THE CIRCLE OF TREASURES

Live at EAST MEETS WEST FESTIVAL 1990
DISC 2
6. Don't Cry
7. Voice Of America
8. Time Again
9. The Heat Goes On-drum Solo
10. Heat Of The Moment
その他のディスク及びトラックは省略


レーベル不明6CDR。ジョン・ウェットン・バンドのライブ音源やエイジアのデモ音源などを収録した6枚組。ここではディスク2トラック6-10に収録された、再結成エイジアの"EAST MEETS WEST FESTIVAL"出演時の模様を収録したサウンドボード音源を紹介する。

詳細は不明だが、1990年4月~6月に行われたと思われるドイツの音楽フェス。ブートビデオも存在するようだが、本作に収録された音源はビデオ落としではなくFM放送のエアチェックか何かの別ソースの可能性がある、らしい。

確かにビデオのライン音源のようなペラっとした音ではなく、ノイズ多めで音量レベルも不安定だがまずまずの音質である。演奏はオフィシャル映像化もされたノッティンガム公演に近い。まだ試運転といった印象でミスも目立つ。

それでは音源をどうぞ。YouTubeにも投稿しておりますが、こちらでアップしたものは音量が一定になるように調節して、少し低音を補強しておきました。

 


festival1990

 

 

 

 

 

 


WNEW FM NEW YORK RADIO INTERVIEW

1. Heat Of The Moment
2. Voice Of America
3. Video Killed The Radio Star

...& Interview
John Wetton
Carl Palmer
Geoff Downes


未ブート化音源。1990年8月25日、ニューヨークのFM放送局でオンエアされたインタビューやアコースティック・ライブのエアチェック音源。8月14日に「THEN & NOW」がリリースされたばかりで、バンドの活動再開に注目が集まっていた頃の物。

聴きどころは3人による生演奏である。ラジオスターの悲劇はダウンズのキーボードのみの演奏だが、残りの2曲はウェットンが生歌を披露している。それでは音源をどうぞ。

 


radio

 

 

 

 

 

 


NEW ASIA (AS92062)

DISC 2
8. Rendezvous 6:02
9. Book Of Saturday
10. Heat Of The Moment
11. Open Your Eyes


KINNIEレーベル、プレス盤2CD。1992年6月4日大阪厚生年金会館公演をオーディエンス録音で収録。メインはジェフ・ダウンズ&ジョン・ペイン体制となってからの初来日公演の音源だが、ディスク2にボーナストラックとして4曲、1990年9月24日兵庫県尼崎市アルカイックホール公演の音源が収録されている。再結成エイジアの来日公演の音源を収録した初めてのブートが本作と思われる。

下で紹介する「DREAMS FOREVER」と同音源と思うが確信が持てない。音源聴いて確認してください、それではどうぞ。

 


osaka 1990

 

 

 

 

 

 


DREAMS FOREVER (AYANAMI-211)

DISC 1
1. Finlandia (op. Se)
2. Wildest Dreams
3. Sole Survivor
4. Don't Cry
5. Voice Of America
6. Video Killed The Radio Star
7. Majesty
8. Time Again
9. Prayin' 4 A Miracle
10. Only Time Will Tell
11. Rendez-vous 6.02
12. Book Of Saturday

DISC 2

1. The Smile Has Left Your Eyes
2. Days Like These
3. The Heat Goes On~drums Solo
4. Go
5. Heat Of The Moment
6. Open Your Eyes
7. Gypsy Soul*
8. Days Like These (ac Mix)*
9. Prayin' 4 A Miracle (remix/edit)*
*Bonus Track


AYANAMIレーベル、2CDR。ツアー初日となる、1990年9月24日・兵庫県・尼崎アルカイック・ホール公演をオーディエンス録音で収録。OSAKAとなっているが兵庫が正しい。

非常にクリアなステレオAUD音源。ウェットンが在籍しているエイジアをついに観ることが出来る、という観客の凄まじい熱気が伝わってくる音源。バンドも、その期待に応えるように熱い演奏を展開している。

本作で使用されたものと思われる音源を使って、オフィシャル・ブートレッグ・シリーズが登場している。それだけ音質的に素晴らしいということだろう。では、音源をどうぞ!

 


part.11

 


part.2

 


part.3

 

 

 

 

 

 


28-IX-90 (HL375)

1. Sole Survivor (fade In)
2. Don't Cry
3. Voice Of America
4. Prayin' 4 Miracle (fade In)
5. Only Time Will Tell
6. Rendez-vous 6:02
7. Book Of Saturday
8. The Smile Has Left Your Eyes
9. Days Like These
10. The Heat Goes On-drum Solo
11. Go
12. Heat Of The Moment
13. Open Your Eyes


HIGHLANDレーベル、プレス盤1CD。1990年9月28日中野サンプラザ公演をオーディエンス録音で収録。コンサート前半部分がカットだらけの不完全収録盤。

"SOLE SURVIVOR"の終盤からフェードインでスタート。ジェフ・ダウンズのソロと"TIME AGAIN"もカットされているが、以降は全てを収録している。

音が全体的に激しく波打っているが、それを除けばAUD音源として十分に高音質だ。大量に流通したのか今も安価で頻繁に目にする1枚。私も良く聴いた思い入れのあるブート。では音源をどうぞ!

 


part.1



part.2

 

 

 

 

 

 


FLY AWAY (SIRENE-130)

DISC 1, 4
1. Intro
2. Wildest Dreams
3. Sole Survivor
4. Don't Cry
5. Voice Of America
6. Geoff Downes Solo
7. Time Again
8. Prayin' 4 Miracle
9. Only Time Will Tell
10. Rendez-vous 6:02
11. Book Of Saturday
12. The Smile Has Left Your Eyes

DISC 2, 5
1. Days Like These
2. The Heat Goes On~drums Solo
3. Go
4. Heat Of The Moment
5. Open Your Eyes

DISC 3
1. Wildest Dreams
2. Sole Survivor
3. Don't Cry
4. Voice Of America
5. Time Again
6. Prayin' 4 Miracle
7. Only Time Will Tell
8. The Smile Has Left Your Eyes
9. Days Like These
10. Rendez-vous 6:02
11. Book Of Saturday
12. The Heat Goes On~drums Solo
13. Go
14. Open Your Eyes

DISC 1-2
Kani Hoken Hall, Gotanda, Tokyo 25th Sep 1990

DISC 3
Nakano Sunplaza, Tokyo 29th Sep 1990

DISC 4-5
Nakano Sunplaza, Tokyo 2nd Oct 1990

 

SIRENEレーベル、5CDR。1990年の来日公演から、9月25日五反田簡易保険ホール公演、9月29日&10月2日中野サンプラザ公演をそれぞれオーディエンス録音で収録。50枚限定生産でナンバリングも入っている。

どの公演も良質なステレオAUD音源で収録されている。ディスク3の9月29日中野サンプラザ公演の曲順が入れ替わっており、未収録の曲もある。この問題点は、後発「ULTIMATE FLYING」で解消された。

 

 

 

 

 

 


ULTIMATE FLYING (WINDMILL-026)

DISC 1, 3, 5
1. Intro
2. Wildest Dreams
3. Sole Survivor
4. Don't Cry
5. Voice Of America
6. Cutting It Fine (key Solo)
7. Video Killed The Radio Star
8. Majesty
9. Time Again
10. Prayin' 4 Miracle
11. Only Time Will Tell
12. Rendez-vous 6:02
13. Book Of Saturday

DISC 2, 4, 6
1. The Smile Has Left Your Eyes
2. Days Like These
3. The Heat Goes On
4. Carl Palmer Drum Solo
5. Go
6. Heat Of The Moment
7. Open Your Eyes

DISC 1-2
Kani Hoken Hall, Gotanda, Tokyo 25th Sep 1990

DISC 3-4
Nakano Sunplaza, Tokyo 29th Sep 1990

DISC 4-5
Nakano Sunplaza, Tokyo 2nd Oct 1990

 

WINDMILLレーベル、6CDR。1990年の来日公演から、9月25日五反田簡易保険ホール公演、9月29日&10月2日中野サンプラザ公演をそれぞれオーディエンス録音で収録。50枚限定生産だったようだが今現在は普通に再販されている模様。

五反田公演と、10月2日中野サンプラザ公演は、上の「FLYAWAY」と同じテープを使用しており音質などの面で大きな変化はない。9月29日中野サンプラザ公演は、不完全だった「FLYAWAY」とは別のテープを使い完全収録になっている。音質もこちらのほうが優れている。どの公演も素晴らしい演奏であり、入手が容易となった今、ぜひ手に取って聴いてみてほしい音源。

25日五反田公演は荒々しさと勢いが混在したハードロック顔負けの演奏。観客のノリも熱く、会場全体が一体となって大きく盛り上がっている様子が音からも伝わってくる。

"THE HEAT GOES ON"演奏後、機材トラブルがあったのか少し間が出来てしまうが、そこをカールがおちゃらけて会場の笑いを誘っている。では音源をどうぞ!

 


Gotanda 25th Sep 1990 pt.1

 


Gotanda 25th Sep 1990 pt.2

 


Gotanda 25th Sep 1990 pt.3

 

 

 

 

 

 

続いて29日、中野サンプラザ公演は、会場の雰囲気も良く、ウェットンも乗せられるように絶好調のヴォーカルを聴かせてくれる。"DON'T CRY"は他の日よりも素晴らしいパフォーマンスだ。初日では走り気味だったカールも、この日は適度に走りつつ落ち着いた絶妙なプレイを聴かせている。

 


Nakano Sunplaza 29th Sep 1990 pt.1



Nakano Sunplaza 29th Sep 1990 pt.2

 


Nakano Sunplaza 29th Sep 1990 pt.3

 

 

 

 

 

 

10月2日中野サンプラザ公演は落ち着いた感じの演奏。ライブを重ねて演奏が完成されてきた、ということかもしれない。

 


Nakano Sunplaza 2nd Oct 1990 pt.1

 


Nakano Sunplaza 2nd Oct 1990 pt.2

 


Nakano Sunplaza 2nd Oct 1990 pt.3

 

以上で1989年~1990年の再結成エイジアのブートは終わりです😎

THE CLASH - FESTIVAL HALL OSAKA 1982 & more【BOOTLEG】

※2024.3.23「Combat LA」を追加

 

 


SAMURAI WARRIORS -The Clash Japan Tour 1982- (BTZCD-026-1/2)

DISC 1
1. London Calling
2. Safe European Home
3. Train In Vain
4. Washington Bullets
5. The Leader
6. Spanish Bombs
7. The Magnificent Seven
8. The Guns Of Brixton
9. White Man In Hammersmith Palais
10. Charlie Don't Surf
11. Ivan Meets GI Joe
12. Brand New Cadillac
13. Janie Jones
14. Koka Kola
15. I Fought The Law
16. Somebody Got Murdered
17. Clampdown

DISC 2
1. Interlude
2. Armagideon Time
3. Stay Free
4. Clash City Rockers
5. Garageland
6. Tommy Gun
7. Complete Control
8. White Riot
Disc 1 & Disc 2 Track 1-8
Festival Hall, Osaka, Japan. Feb 2nd 1982

9. 1977 / 26 April 1977 Promo Video Shoot Remix
10. Garageland / Rude Boy Outtake
11. Know Your Rights / Combat Rock Outtake
12. Overpowered By Funk Inst. / Combat Rock Outtake
13. House Of The Ju Ju Queen / Dec 1982 Demo
14. We Are The Clash / Demo
15. Rock The Casbah / Dub Mix Feat. Rankin Rodger
16. The Guns Of Brixton / Dub Mix
17. Train In Vain / Remix
18. This Is England / Dub Mix
19. Fingerpoppin / 12" Mix
20. Dirty Harry / Full Radio Mix
21. Y.N.C.A. / WCBN Radio Sing-A-Long
Track 9-21
Bonus Tracks Demos & Alt. Mixes


Line-up :

Joe Strummer - Vocal, Guitar

Mick Jones - Guitar, Vocal
Paul Simonon - Bass, Vocal
Topper Headon - Drums, Vocal


BACK TO ZEROレーベル、プレス盤2CD。1982年2月2日、大阪フェスティバルホール公演をオーディエンス録音で収録。1982年1月下旬から2月上旬にかけてクラッシュは初来日を果たし全8公演+追加1公演を行った。日程は以下の通り。

1月24日:渋谷公会堂
1月25日:大阪フェスティバルホール
1月27日:中野サンプラザ
1月28日:中野サンプラザ
1月29日:中野サンプラザ
1月30日:新宿厚生年金会館(昼&夜2公演)
2月1日:中野サンプラザ
2月2日:大阪フェスティバルホール(追加公演)

 

英国のみならず米国でも大きなセールスを記録した最盛期ラインナップで遂に待望の初来日が実現した。そして同時に、これが最盛期ラインナップ最後のツアーとなってしまった。

ツアー終了後、ドラマーのトッパー・ヒードンは薬物常習問題で脱退させられ、バンドには二度と復帰することはなかった。

このブートレッグは、1982年2月2日、大阪で行われたツアー8日目の最終日を収録している。ツアーが大盛況だった為、急遽追加された公演である。

ロンドンの音楽ジャーナリスト、クリス・サレヴィッチの著書「Redemption Song: The Ballad of Joe Strummer」によると、当時の日本ではコンサート中に観客が席を立つことが禁止されていた為、バンドは日本公演を拒否していたという(1978年1月27日レインボー札幌公演の死亡事故の影響と思われる)。

しかし、ファンが自由に立つことが出来るという妥協案が主催側から示されたことで、ようやく来日公演が実現することになったらしい。最盛期クラッシュの来日は、まさにギリギリのタイミングだったのだ。

大阪公演、しかも最盛期のラインナップによる初来日。観客の声援がオープニングBGMの時点から凄まじい。最終日だけに演奏も素晴らしい。音質が良い東京公演が定番だが、音質は悪くても会場の強烈な熱気がステレオで伝わってくるという点で、このブートは個人的に大のお気に入りである。まさにオーディエンス音源の醍醐味である。

それでは、音源をどうぞ!




part.1

 


part.2

 


demo

 

 

 



ザ・クラッシュは1982年初頭にアジア・オセアニア・ツアーを行うべきではなかったかもしれない。緊迫したコンバット・ロック・セッションの最中であったことに加え、プロモーターは約1ヵ月で25公演以上という厳しいスケジュールを組んだ。

そして5年連続の大規模なツアーでメンバーたちは疲弊して燃え尽き始めていた。ドラマーのトッパー・ヒードンは疲労による逃避からヘロイン中毒に陥り、完全にコントロール不能の状態になっていたが、どうにかツアーを乗り切った。

「日本に着いた時は、かなりクレイジーだった。まるでビートルズか何かみたいに追いかけ回され、ファンたちの叫び声とたくさんのプレゼントを投げつけられた」(ミック・ジョーンズ)


日本に到着して間もなく、ジョー・ストラマーとヒードンは大喧嘩になった。

「私はジョーとエレベーターの中に立っていた。ジョーはこう言ったんだ。どうやって反ドラッグの歌を歌えばいいんだ、俺の後ろでお前がラリっているのにってね」(トッパー・ヒードン)

ジョーの発言にヒードンは上手く返答できず、バンドがアジア・オセアニア・ツアーを終えて間もなくヒードンは解雇され、オリジナル・ドラマー、テリー・チャイムズが加入した。

皮肉なことに、「Rock The Casbah」はヒードンが作詞作曲を担当した唯一のクラッシュの曲で、バンドにとって最大のヒットをもたらした。このシングルがヒットした時には、ヒードンは既にバンドを解雇されていた。

数年後、ストラマーはヒードンを解雇したことがバンドを破滅に追いやったと語っている。

「あれが終わりの始まりだった。グループがどんなものであれ機能させるのは4人のケミストリーなんだ。1人を解雇して、好きなミュージシャン、或いは10人の新たなメンバーと入れ替えても同じように機能することはない」(ストラマー)

 

こうしてバンド最大のピークを迎えると同時に終焉が近付いていたクラッシュ。某ブート業者のツアースケジュールを借りて全容を見てみよう。


1月24日-2月2日:初来日(9公演)

2月5日-24日:オセアニア(14公演)
2月25日+27日:香港/バンコク(2公演)

4月「COMBAT ROCK」完成
5月5日:ニューカッスル公演

5月14日「COMBAT ROCK」発売
5月18日-6月29日:北米#1(29公演)
7月10日-8月3日:英国(20公演)
8月9日-9月15日:北米#2(25公演)
9月25日-10月29日:北米#3(19公演)
11月25日+27日:ジャマイカ(2公演)


となっている。続いて、テリー・チャイムズ再加入後の北米3rdレグより、最終日を収録したブートを紹介しよう。

 

 


COMBAT LA (4Reel Productions)

1. London Calling
2. Police My Back
3. The Guns Of Brixton
4. This Is Radio Clash
5. Spanish Bombs
6. Rock The Casbah
7. The Maginificent Seven / Armagideon Time
8. Janie Jones
9. Train In Vain
10. Tommy Gun
11. Clampdown
12. Brand New Cadillac
13. Should I Stay or Should I Go?
14. I Fought The Law
Live at Memorial Coliseum, Los Angeles, CA Oct 29 1982

Line-up :
Joe Strummer - Vocal, Guitar

Mick Jones - Guitar, Vocal
Paul Simonon - Bass, Vocal
Terry Chimes - Drums, Vocal


4Reel Productionレーベル、プレス盤1CD。「Combat Rock」リリースに伴う大規模な北米ツアーの最終日となる1982年10月29日ロサンゼルス公演を、オフィシャル級の超高音質サウンドボード音源で収録。北米製ブート、デジパック仕様。2014年リリース。

10月13日ニューヨーク公演を収録したオフィシャル「LIVE AT SHEA STADIUM」(2008年リリース。日本のWikiに載ってねぇ😑)と時期が被る為か、或いは単純にコレクターが少ない為か、北米ツアーの音源が少ない。このロス公演も本作以外のブートCDは1枚しか確認できない。

というか、この音源は「LIVE AT SHEA STADIUM」の発掘・リリースとほぼ同時期に登場した。ということは、もしかして関係者からの流出音源だろうか。

北米ツアーはTHE WHOの前座として回った為、ショーは1時間に満たない短さ。何かと物議を醸したテリー・チャイムズはそれほど悪いとは感じない。ただ、メインアクトとして行った彼ららしいハチャメチャな来日公演の熱気と比べると、ややお行儀の良いライブという感じかな?

1982年の音源は殆どが来日公演とジャマイカ公演で、あとは北米ツアーが4種と欧州ツアーが僅かに存在していたと思うが、来日公演以外のブートは海外製がメインだったかと。本作も含めて日本国内ではリリース情報が無く存在すら知られていない。クラッシュは人気が無いのだろうか?良いバンドだがなあ😧

 



海外製ブートに多いデジパック仕様。しかし、検索しても殆ど情報らしい情報が出てこない。リリース枚数が少なかったのだろうか。では、音源をどうぞ。

 


combat la

 

以上です🤗